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徳島地方裁判所 昭和50年(ワ)32号 判決 1988年6月08日

原告

梶川彰

他六三名

原告ら訴訟代理人弁護士

林伸豪

枝川哲

右訴訟復代理人弁護士

川真田正憲

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

武田正彦

他五名

被告

徳島県

右代表者知事

三木申三

右指定代理人

武田正彦

他一〇名

主文

一  被告らは各自、原告らに対しそれぞれ別紙「認容金額一覧表」中、当該「金額(円)」欄記載の金員及び右各金員に対する昭和四六年八月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告らに対しそれぞれ別紙原告別「損害等明細表」中、「合計請求額」欄記載の金員及び右各金員に対する昭和四六年八月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  請求の全部若しくは一部が認容される場合、仮執行の宣言に対する免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、徳島県の中西部に位置する「剣山」に源を発し、同県南部を東流して紀伊水道に注ぐ一級河川「那賀川」の中流沿岸に位置する徳島県那賀郡鷲敷町の「和食地区」に居住し若しくは事業場を有しているものである。

(二) 被告国は那賀川及び那賀川水系中の古屋谷川など一級河川の管理義務を有し、那賀川の和食地区から約三七キロメートル上流に設けられた「長安口ダム」を被告徳島県(以下「被告県」という。)と共有しているものである。

(三) 被告県は長安口ダムを被告国と共有し、河川法第九条に基づき、知事がこれを管理しているものである。

2  洪水による被害の発生とその原因

昭和四六年八月三〇日、台風二三号の襲来の際、和食地区では、那賀川からの出水により床上浸水九二戸、床下浸水三六戸という大災害が発生した。このとき、浸水は午後四時三〇分ころに始まり、同六時二〇分ころ頂点に達し、同三〇分ころから退き始めて、同八時ころには完全に収まつた。

この出水は洪水時に長安口ダムにおいて一時的に毎秒一万一〇〇〇立方メートル、少なくとも同七〇〇〇ないし八〇〇〇立方メートルという大量の放流が行われたために発生したものである。長安口ダムのゲート操作記録表では、洪水時の最大放流量は八月三〇日午後三時五〇分の時点において毎秒4720.8立方メートル(ほかに発電用の放流毎秒六〇立方メートル、計4780.8立方メートル)、最大流入量は同じ時点において毎秒4606.8立方メートルとなつているが、右記録は真実の数値を示すものではない。右記録が捏造されたものであることは次の事柄によつて裏付けられる。

(1) 洪水痕跡をもとにした最大放流量の計算結果

洪水時のダムからの最大放流量は洪水痕跡をもとにした流量断面積と平均流速との積として表わすことができる。長安口ダム下流四〇〇メートルの地点に認められる洪水痕跡から推計される同地点における断面積(河積)は一五七〇平方メートルであり、長安口ダムとその下流21.5キロメートルの地点に設置されている川口ダム間の洪水伝播時間は約一時間である。そして、水理学上、一般に洪水伝播速度と平均流速とはほぼ等しいとされているから、右長安口ダムと川口ダム間の距離及び洪水伝播速度から平均流速を割り出すと、次式①のとおり、毎秒六メートルとなる。次に前記流量断面積と右平均流速から洪水時のダムからの最大放流量を算出すると、次式②のとおり、毎秒九四二〇立方メートルとなる。すなわち、これは計算上長安口ダムにおいては洪水時に最大で毎秒九四二〇立方メートルの放流が行われたことを意味するものである。

21.5Km÷3,600秒(1時間)=毎秒6m・・・①

1,570m2×6m=9,420m3・・・②

(2) 合理式(ラショナル式)を用いての最大流入量の計算結果

洪水時の、河川流域に降つた雨水の河川への流入量は河川工学上合理式(ラショナル式)によつて算出することができ、その計算式は次式①のとおりである((注)注 Q・流量=毎秒、立方メートル、f・流出率=降雨のうち洪水となつて出水する水量の割合、r・洪水伝播時間内の平均時間雨量、A・流域面積)。

Q=1/3.6frA・・・①ところで、長安口ダムの上流には発電を目的とする小見野々ダムが設置されているところ、小見野々ダムと長安口ダム間の流域面積は二二四平方キロメートルであり、等雨量線図により八月三〇日午後二時から同四時までの流域平均時間雨量を求めると毎時53.3ミリメートルとなり、流出率を0.82として、合理式(ラショナル式)により同日午後四時から同五時までの流域から長安口ダムへの最大流入量を算出すると、次式②のとおり、毎秒二七一九立方メートルとなる。

1/3.6×0.82×53.3mm×224Km2=2,719m3・・・②また、小見野々ダムにおいては、同日午後三時から同四時までの時間帯に最大流入量毎秒二四一一立方メートル、同放流量毎秒二三〇一立方メートルが記録されている。そうすると、小見野々ダムと長安口ダム間の洪水伝播速度を二時間として、長安口ダムにおける午後五時の時点での最大流入量は右流域からの流入量と小見野々ダムにおける放流量を合わせた毎秒五〇二〇立方メートルとなり、これは被告側が明らかにしている数値、毎秒四三八九立方メートルを相当上回つている。

(3) 時間水位曲線にみる特異性

洪水時においては、河川の時間水位曲線は本流の下流へ行くほど緩やかとなるというのが水理学上の定説である。ところが、本件洪水時の那賀川の時間水位曲線は長安口ダムより下流の鷲敷、仁宇の各地点において最も急であり、上流の白久、名古ノ瀬の各地点において緩やかとなつている。このことは下流域の鷲敷、仁宇の各地点において洪水が急激に増加し、急激に減少したことを意味しているのであり、時間水位曲線の右のように急に上昇し、急に下降する線形は「段派型」と呼ばれ、ダムから一時的に大量の放流が行われた場合に見られる現象である。もつとも、河川の下流域に支流があり、支流から本流への流入量が一時的に急増したような場合にも時間水位曲線上に前記のような線形が現われることも考えられなくはないが、わが国の大きな河川はすべて支流を伴つており、前記水理学上の定説はこのことを前提として成り立つているのである。那賀川の、長安口ダムから鷲敷地区までの間で最も大きな支流は古屋谷川であり、ほかに日谷川、葛谷川、藤谷川、紅葉川など、いくつかの支流があるが、これらの支流は那賀川本流や古屋谷川に比すべくもない小河川である。そして、被告側から提供された資料によつても本件洪水時の古屋谷川からの最大流入量は毎秒七三一立方メートル、そのほかの支流からのそれは合わせて毎秒七四七立方メートルであつて、これらの流入量は長安口ダムからの最大放流量毎秒四七八〇立方メートルを加えた毎秒六二五八立方メートルの一割程度にすぎず、しかも、実際には右各支流からの流入量とダムからの放流量にはそれぞれ最大に達する時点にずれがあるわけであるから、右各支流からの流入量が時間水位曲線の線形に影響を及ぼすとは考えられない。

(4) 洪水による浸水の異常性

前記のとおり、洪水による浸水は八月三〇日の午後四時三〇分ころに始まり、同六時二〇分ころ頂点に達し、同三〇分ころから退き始めて、同八時ころには完全に収まつた。その間、わずか三時間半ほどのことであり、あつという間の出来事であつた。このような態様の浸水は自然水の増減に伴う洪水による浸水では考えられないことであり、人為的な水の動きがあつたことを物語つている。被告側の提供による資料によれば、八月三〇日の洪水時の長安口ダムへの最大流入量は毎秒四六〇六立方メートルであつたというのであるが、長安口ダムの計画最大洪水量は毎秒六四〇〇立方メートルなのであり、それより毎秒一八〇〇立方メートルも下回る中小洪水によつて歴史的な大被害が生じたというのは不自然である。長安口ダムが建設されて以来今日までに毎秒四千数百立方メートル級の洪水は何度かあつたが、本件のような被害を生じたことはない。特に、昭和五〇年八月二二日から二三日にかけての台風六号は本件とほぼ同規模のものであつたにもかかわらず、洪水による浸水の被害は全く生じなかつた。

(5) 洪水時のダムの水位等

長安口ダム周辺住民の言によると、洪水時にはダムの水位が異常に高くなり、越流寸前であつたという。もし、これが事実とすれば、そのような状態にある貯水位を下げるには毎秒四六〇六立方メートル程度の放流では不可能であり、もつと大量の放流が必要である。

洪水時にはダムの水面には水理学上「静振」と呼ばれる現象が起こり、貯水位が上下するのがダムゲート操作記録表からの放流量の数値は正確でない疑いがある。

3  長安口ダムの管理上の瑕疵

(一) 長安口ダムは、洪水調節、かんがい及び発電をその用途とする、いわゆる多目的ダムであり、その洪水時の操作については「長安口ダム操作規則(昭和四五年八月一一日徳島県規則第六三号)」(以下「規則」という。)及び「長安口ダム操作細則」(昭和四五年八月一一日から適用のもの、以下「細則」という。)が、平常時の操作及び管理については「長安口ダム操作規程(昭和四五年八月一一日徳島県企業管理規程第一〇号)」がそれぞれ制定されており、ダムの操作及び管理は右規則等の定めるところに従つて行われることになつている。しかしながら、右規則等の定めるダムの操作及び管理に関しては、それ自体に次のような問題点が包蔵されており、これが後記のような本件洪水時における操作上の誤りを惹き起こす原因となつた。

(1) 規則によれば、ダムの満水位は標高二二五メートルと定められ(第六条)、洪水に備えて調節容量を確保するために行われる予備放流によつて下げうる貯水位の最低限度は標高221.7メートルとされている(第八条)。すなわち、洪水調節は標高221.7メートルから同二二五メートルまでの容量最大六九〇万立方メートルを利用して行われることになつている(第九条)。これは長安口ダムの有効貯水量が四三四九万七〇〇〇立方メートルであることからしてその15.8パーセントにすぎず、洪水調節容量としてはその限度でしか与えられていないということである。これは、一般に多目的ダムにおける洪水調節容量が有効貯水量の三〇パーセント以上となつていることと対比するとき、長安口ダムについては、いかに利水優先目的に徹し、治水目的を軽視した管理、運営が行われているかを物語るものである。

(2) 洪水に備えて予備放流水位を確保するに当つての放流の原則について、細則第九条第一項第二号は「貯水位が標高221.7メートル未満にあるときは、貯水池から放流をしながら、またはしないで貯水池に流水を貯留し、貯水位が221.7メートルに達した後は、流入量に相当する流量を放流するものとする。」と定めている。しかしながら、この条項に基づくダム操作の実際においては、右にいう「放流をしながら」が例外となり、むしろ「または放流をしないで貯水池に流水を貯留し」というのが原則となつてしまうことが十分に考えられる。というのはダムの管理担当者の意識としては、洪水が予測される場合でも、ダムの貯水位が予備放流水位の最低限度(標高221.7メートル)を下回つているときは、洪水が予測に反して襲来せず、そのためダムの貯水位をいつそう低くしてしまうことをおそれ、まず、貯水位が予備放流水位の最低限度に達するまでは流水を貯留しようとする方向に働くのが当然だからであり、「放流をしながら」という操作が行われることは皆無に近いと思われる。しかしながら、ダムからの放流開始に当つては、規則及び細則上、関係機関への通知、警報車による地域住民に対する通報等の事前措置が必要であり、その間にダムへの流入量が急激に増え、貯水位が予備放流水位の最低限度を越えてしまい、右最低限度の確保が不可能となるという事態が生じうるのであり、後記のとおり、本件は正にそのような事案なのである。このようにダム操作の実際において「放流をしながら」という放流の方式が全く無視されてしまうということは、規則自体に定めるダム管理上の欠陥であり、本件洪水被害の発生後、細則第九条第一項第二号が改正され、「放流をしながら、またはしないで貯水池に流水を貯留し」とあつたのが「放流をしながら」とされたのは、被告らにおいても自ら右欠陥を認めてこれを改めたものである。

(3) 規則によれば、長安口ダムにおいては、洪水調節は徳島県長安口ダム管理事務所長(以下「管理事務所長」という。)において最大流水量、洪水総量、洪水継続時間及び流入量の時間的変化を予測し、洪水調節計画を立て、前記最低限度の範囲内で具体的な予備放流水位を定めて行う(第一四条)旨が規定されているが、右洪水総量等の予測に関しては規則上その方式が確立されておらず、したがつて、規則に定めるところから的確な洪水調節計画を立てることは不可能である。例えば、総雨量と最大流入量との関係については、昭和四六年当時も同四八年に改正された後の規則に添付されている資料一が使用されていたとのことであるが、この資料では過去最大の流入量を記録した昭和二五年のジェーン台風についての記録が取り入れられていない。この資料によれば、おおよそ雨量四六〇ミリメートルの場合、流入量は毎秒三五〇〇立方メートル、雨量六〇〇ミリメートルの場合、流入量は毎秒四八〇〇立方メートルと予測されることになるが、ジェーン台風では雨量約四〇〇ミリメートルに対して流入量は毎秒六〇〇〇立方メートルを超えたのである。本件においては、後記のとおり、流入量の予測が的確でなかつたことがダムの貯水位を予備放流水位の最低限度より上げてしまつたことの原因であるが、これは右のような流入量予測方式の不備に起因しているのである。

(二) 規則によれば、長安口ダムについては、洪水時のダムの操作は管理事務所長の権限によつて行われることになつているところ、本件洪水時においては、管理事務所長は次のようなダム操作上の誤りを犯した。

(1) 徳島県地方には、昭和四六年八月三〇日午前三時四〇分、暴風雨・波浪・高潮警報が発令されたので、長安口ダムでは、同五時、洪水警戒体制に入つた。規則によれば、管理事務所長は、この時点で直ちに洪水調節計画を立て、予備放流水位を定めて洪水調節容量を確保するように努めなければならないところ、この時点では、予備放流水位は規則所定の最低限度である標高221.7メートルと定められたものとみることができる。ところが、ダムからは三〇日の午後零時三〇分まで発電用の毎秒六〇立方メートルの放流が行われただけで、それを超える放流は行われず、その間に流入量が増大してダムの水位は次第に上昇し、午前一一時五〇分ころには既に貯水位は予備放流水位を突破し、午後零時三〇分には標高223.6メートルに達した。そのため洪水調節容量六九〇万立方メートルのうち半分以上が失われてしまつたのである。これは同日午前九時の時点においても貯水位は予備放流水位の最低限度を三メートル以上下回つていたところ、この場合、予備放流水位を確保するためには、前記のとおり、細則上、ダムからの放流をしながらか、または放流をしないで、ダムに流水を貯留しながらか、のいずれかの方法によることが認められており、本件洪水時においては、後者の方法がとられたことによるものである。しかしながら、これこそが問題なのであつて、規則(第一六条第一号)及び細則(第九条第一項第二号)には、貯水位が予備放流水位に達した後は、流入量が毎秒四〇〇〇立方メートルに達するまでは流入量に等しい量の流水を放流すること、すなわち自流放流の状態を保持する趣旨が定められているが、実際にそうするためには貯水位が予備放流水位に達してから放流を始めたのでは間に合わない。というのは、細則により、放流量を発電のための放流毎秒六〇立方メートルから毎秒八〇〇立方メートル前後(貯水位が予備放流水位に達するときの予測流入量)まで増加させるには一定の制限があつて(第九条第一項第一号)、急激に増加させることはできず、放流を開始するにはその一時間前に関係機関への通知等の手続が必要であり(第一二条)、その間に貯水位が予備放流水位を著しく越えてしまうおそれがあるからである。本件洪水時においては、八月三〇日の午前一〇時の時点で雨が激しく降り出し、以降、流入量が増加することは容易に予測できたのであるから、できればその直後に、それが関係機関への通知等の手続を経ることとの関係で不可能としても、午前一一時か、遅くとも同一一時三〇分までには放流を開始すべきであつた。そうしていれば、貯水位が予備放流水位を越えることはなかつたのである。ところが、本件洪水時において、実際に放流が開始されたのは午後零時三〇分のことであり、そのときの流入量は毎秒一八五〇立方メートルであり、なお、急速に増加していたから、毎秒六〇立方メートルから出発した放流量を流入量に追いつかせるためには細則第九条第一項第一号に定める放流量増加の制限を大幅に超えた急激な放流増加を強行しなければならなかつたのである。

(2) 被告側が明らかにするところによると、八月三〇日午後零時三〇分に放流を開始した後、急速に放流量を増加させ、午後一時三〇分ころ、放流量が流入量に追いついたというのであるが、その間に貯水位は午後一時二〇分の時点で標高224.25メートルに達した。ところが、その時点で当初標高221.7メートルと定められた予備放流水位は現状に合わせて標高224.25メートルに変更され、その後は、午後三時ころまで流入量に等しい量の放流、すなわち自流放流が行われている。右予備放流水位変更の理由について、被告側の関係者は「午前一一時一〇分の台風情報五号は、当夜半に台風が徳島県地方に最も接近すると報じていた。一方、既に午前一〇時から午後一時にかけて一時間当たり四〇ミリメートルぐらいの流域平均雨量があつたので、二時間ぐらいのうちに毎秒三八〇〇立方メートルぐらいの流入量のピークがあり、さらに夜半近くに第二のピークがくると予測した。しかしながら、仮に第一のピーク時の流入量が毎秒四八〇〇立方メートルぐらいあるとしても、予備放流水位を標高224.25メートルとした場合の洪水調節容量一六〇万立方メートルで十分対応できると判断した。」ためであるという。しかしながら、これでは、流入量の第一のピークは乗り切れると仮定しても、第二のピークがいつ、どのような形をとつて襲来するかは分らないのであるから、これを乗り切れる保障は全くない。この場合、ダムの管理担当者としては、気象台が発表する台風情報や降雨予想はそれほど精度の高いものではなく、これを全面的に信頼してダム操作を行うことは危険極まりないことを考慮し、安全面に重きをおいて洪水調節容量に余裕をもたせたダム操作を行うべきことは当然である。ところが、本件においては、前記のとおり、午後一時二〇分の時点で予備放流水位を2.55メートルも引き上げてしまつたうえ、午後三時ころまで漫然と自流放流を続け、貯水位を引き下げる努力をしなかつた。このことが次の過剰放流へとつながつていつたのであり、これはどのような説明によつても正当化することのできない厳然たる事実である。

(3) 長安口ダムからは、八月三〇日の午後三時から同六時四〇分にかけて流入量を超える放流、すなわち過剰放流が行われた。被告側の関係者によると、これは「一四時二〇分の洪水警報と同四〇分の台風情報六号によつて、今後風雨はますます強くなり、最大洪水流量は毎秒六四〇〇立方メートルぐらいになると予想された。ダムの計画最大放流量は毎秒五四〇〇立方メートルであり、これを超える流量をカットするには約四七〇万立方メートルの洪水調節容量が必要であるが、午後三時の時点での容量は一六〇万立方メートルしかなかつたので、過剰放流を行つて貯水位を下げておく必要がある。」と判断したためであるという。しかしながら、右過剰放流を行つた午後三時から同六時四〇分という時間帯は前記流入量の第一のピークが襲来すると予測される時間帯と合致するのであり、あえてこの時間帯に過剰放流をする必要があつたかは疑問であり、仮に過剰放流の必要があるとしても、その時期を右ピーク時からはずらせるべきであつたとの批判が可能である。のみならず、今日行われている降雨予想の科学水準は低いのであるから、気象情報をうのみにするのではなく、実際のダム操作は過去数時間の雨量、流入量、貯水位の推移を慎重に見守りつつ行われなければならないのであり、八月三〇日の午後二時から同三時にかけて流域に五九ミリメートルの降雨量があつたが、このような強い雨が何時間も続くとは通常考えられないのであるから、あわてて過剰放流をする必要はなかつたと考えられる。もし、午後三時の時点で当初に定めた標高221.7メートルの予備放流水位が保たれ、六九〇万立方メートルの洪水調節容量が確保されていれば、最大洪水流量毎秒六四〇〇立方メートルが予測される場合でも過剰放流をする必要はなかつたのであり、右のような過剰放流をしなければならなかつたのは、最初の放流に失敗し、貯水位を当初に定めた予備放流水位より2.55メートルも上げてしまつたことがその原因である。右最初の放流が適切に行われていれば、被告側が主張するところによつても、午後三時以降の時点での最大放流量は毎秒四三五四立方メートルですんだのに、実際には毎秒四七八一立方メートルが放流され、下流域に大きな被害をもたらす結果となつた。

(三) 以上のとおり、前記の洪水による浸水は、長安口ダムにおける洪水時のダム操作の誤りによつて生じたものであるが、その根本原因は、長安口ダムが洪水調節をその設置目的の一つとしておりながら、その管理、運営においては、常に利水目的優先の考え方が支配し、洪水時における洪水総量等の予測の方式、洪水調節計画の立て方及びダム操作の方法等の管理体制が確立していないところにある。してみると、長安口ダムについてはその管理上に瑕疵があるということができるから、長安口ダムを共有し、その管理義務者である被告らは各自、原告らに対しそれぞれ前記洪水による浸水によつて生じた損害を賠償すべきである。

4  原告らの損害

洪水による出水は一瞬のうちに原告らの家屋等を浸水させた。ほとんどの原告は着のみ着のままで避難し、自力で避難した者の中には大木がうごめく濁流の中を命からがら逃げた者もおり、自力で避難できず、救命艇で救助された者もいる。出水による原告らの肉体的、精神的苦痛は避難の際の恐怖に伴うもの、家屋等の破壊、滅失に伴うもの、水が引いた後の長期間にわたる後片付け・整理に伴うものなど甚大であり、体験した者でなければ分らない。この体験は法的にみて十分賠償に値するものである。

浸水による家屋の損害については、一般に家屋の床下若しくは床上に浸水があつた場合、家屋の柱、梁、根太、壁等の基礎的部分に損傷が生ずることは明らかであり、浸水の度合いにより耐用年数の減少を認めるのが相当である。その損害額としては一〇万円を下ることはない。

電気器具などの家庭用品については、一部に損傷が生じたものでも全部の損害として扱うのが相当である。

以上の損害を含めて、浸水のため個々の原告について生じた損害は別紙当該「損害等明細表」に記載のとおりである。

よつて、原告らは被告らに対し、各自、別紙当該「損害等明細表」中、「合計請求額」欄記載の金員及び右各金員に対する浸水被害発生の日の翌日である昭和四六年八月三一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの答弁

(原告らの請求原因に対する認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、昭和四六年八月三〇日の台風二三号の襲来の際、和食地区で那賀川からの出水により家屋の浸水があつたことは認めるが、原告らの家屋が被害を受けたかどうかは知らない。洪水時に長安口ダムから原告ら主張のような大量の放流が行われたこと及びダムからの放流が浸水被害の原因であることは否認する。

3 同3の長安口ダムの管理上に瑕疵があるとの主張は争う。

4 同4の事実のうち、出水による浸水のため原告らがその主張のような損害を受けたことは知らない。

後記のとおり、洪水時に長安口ダムから一時的に流入量を超える量の流水の放流(過剰放流)が行われたことは事実であるが、その程度は最大で流入量毎秒4606.8立方メートルに対し放流量毎秒4780.8立方メートル(発電用の放流毎秒六〇立方メートルを含む。)であつて、これが和食地区の浸水に与えた影響は水位を三〇センチメートルほど上昇させただけにすぎず、原告らがそのために損害を被つたとは考えられない。

(被告らの主張)

1 洪水時のダムからの最大放流量についての主張について

(1) 洪水痕跡をもとにした原告ら主張の最大放流量の計算方法には次のような問題点がある。まず、その一は流量断面積(河積)を一五七〇平方メートルとしたことである。これは長安口ダムから四〇〇メートル下流の地点に認められた洪水痕跡をもとにしているが、ここは河床が極めて不規則の上に死水領域(水が渦が巻いて滞留しているところ)も大きい。また、ここは古屋谷川が那賀川に合流する地点の上流に位置しているため大きい堆砂や合流の影響によつて流水の堰上げ現象が生じていると考えられるので、流水に対して有効な断面積は一五七〇平方メートルよりも小さいとみなければならない。のみならず、この位置における流水の速度は、堰上げによる流速の低減効果により、長安口ダムから川口ダムまでの間の平均流速よりさらに小さかつたはずである。その二は長安口ダムと川口ダムとの間に洪水のピークの時点に約一時間のずれがあることから、その間の水の流れに要する時間もほぼこれに等しいものとして平均流速を求めていることである。しかしながら、この一時間というのは洪水のピークが伝わる時間のことであり、これによつて算出されるのは洪水伝播速度であつて、平均流速とは異なるものである。水理学上、一般に流速は洪水伝播速度の五分の四ないし三(マニングの算式では一三分の九)とされており、また、クライツ・セドンの法則では、本件台風時の洪水伝播速度は平均流速の1.5倍となるが、この法則は河川の勾配とか、粗度の大きさ或いは断面形状とは無関係に成立するので、本件においては、死水領域を考慮に入れると、洪水伝播速度は平均流速の1.35倍となる。その三は平均流速を算出するのに長安口ダムと川口ダム間の距離21.5キロメートルを洪水伝播時間三六〇〇秒(一時間)で除していることである。しかしながら、貯水池等の水深の大きいところでは洪水波は瞬間的にそこを通過すると考えられ、したがつて、右計算に当つては長安口ダムと川口ダム間の距離のうち川口ダムの貯水池の長さ六キロメートルを差し引くのがより正確である。そこで、以上の諸点を踏まえて(ただし、流量断面積は一五七〇平方メートルのままとする。)、原告ら主張の計算に修正を加えると、次式のとおり、最大放流量は毎秒四六六三立方メートルであり、ダムのゲート操作記録表のそれに近い数値となる。

15.5Km(21.5Km−6Km)÷3,600秒×file_5.jpg(≒0.69)×1,570m2=4,663m3

(2) 原告ら主張の長安口ダムへの最大流入量の計算においては、八月三〇日午後四時から同五時までの間における小見野々ダムと長安口ダム間の流域からの最大流入量と同日午後三時から同四時の間に記録された小見野々ダムからの最大放流量がちようど一致するという前提のもとに、両者を合算するという方法がとられているが、右計算方法においては、小見野々ダムと長安口ダム間の流域からの流入量及び小見野々ダムからの放流量の各時間的変化が考慮されておらず、右計算方法は科学的根拠に欠けるものである。いま、右計算において使用された雨量を用い、解析手法としてはラショナル式に線型貯留関数法を併用して解析を行い、小見野々ダムと長安口ダム間の流域からの流出ハイドログラフ(時間と流量との相関図)を求め、これと、小見野々ダムからの放流記録をもとにして求めた小見野々ダム放流ハイドログラフを、河道を順次流下する時間を計算しながら順次合成していき、長安口ダム流入ハイドログラフを求めると、ここに表われた最大流入量は長安口ダムゲート操作記録表の数値に近いことが分り、右数値が正しいことが裏付けられる。また、川口ダムにおいては流入量がそのまま放流され、流水の貯留は行われていないところ、右同様の手法によつて川口ダム流入ハイドログラフを求めると、ここに表われた最大流入量は毎秒六三六九立方メートルであり、これは川口ダムゲート操作記録表上のそれとの間に毎秒約三〇六立方メートルの差があるものの、右流入ハイドログラフとダムゲート操作記録表上の数値をもとにした川口ダム放流ハイドログラフを比較すると、ピーク生起時刻は一致しており、両者の線形も近似している。

(3) 時間水位曲線について、一般に本川の下流へ行くほど線形が緩やかになるというのは途中の支川流域等からの大きな流入量がない場合にいえることである。本件台風時には那賀川上流部に毎時四〇ミリメートル以上の降雨があり、しかも、洪水時に古屋谷川等を含む中流部に驚異的な集中豪雨があつたため、そのすぐ下流にある和食地区において水位が急上昇し浸水をみるに至つたのであつて、このような場合、時間水位曲線が下流で急に上昇し急に下降する線形をとつても異とするには当らない。記録に基づいて、川口ダムの最大流入量と長安口ダムの最大放流量との差異、すなわちその間の流域からの最大流入量を川口ダムの最大流入量で除した数値を昭和三六年のいわゆる室戸台風の場合、昭和四六年の本件台風二三号の場合及び昭和五〇年の台風六号の場合について比較してみると、順に0.217、0.293、0.213となり、本件台風の場合、流域からの流入量がいかに大きかつたかが明らかである。実際にラショナル式によつて流域からの流入量を計算すると、次式のとおり、毎秒一九六六立方メートルの値がえられ、これに長安口ダムの午後四時から同五時までの間の時間最大時間平均放流量毎秒4645.4立方メートルを加えると、毎秒6611.4立方メートルとなり、これは川口ダムゲート操作記録表による最大放流量毎秒6571.8立方メートルにおおむね等しいことを示している。

長安口ダムと川口ダム間の流域面積(A)=122.4km2

流域の午後2時から同3時までの間の平均雨量(r)=77.1mm

流出率=0.75(f)

最大流入量(Q)m3/S=f×r×A÷3.6=0.75×77.1÷1,000×122.4×1,000×1,000÷3,600=1,966

(4) 洪水時に長安口ダムに続く上流にある平谷地区において那賀川の水位がかなり上昇したことは考えられるが、これはダムの末端における堰上げ背水(バックウォーター)によるものであつて、このときダムの水位が同様に上昇していたわけではない。したがつて、平谷地区における水位の上昇を見た住民の言から、洪水時にダムの水位が異常に上昇していたというのは水理学上の常識を無視するものである。

ダムのゲート操作盤上の水位計の針は小規模な水面波や静振の影響で絶えず変動しているものであり、このことはゲート操作に当るダム管理事務所の所員にとつて常識である。所員は水位計が示す水位の変動幅を勘案し平均値とみられる水位を把握するのであるが、この変動幅の平均値を把握するのは非常にたやすいことであり、静振の影響で水位の測定値が正確でなくなるというようなことはありえない。

2 規則等に定められたダムの操作及び管理上の問題点についての主張について

(1) 長安口ダムは治水と利水を目的とした多目的ダムである。多目的ダムの建設に当つては、その利用者がそれぞれ必要とする貯水池の容量の比率に応じて建設費を負担する。ダムの管理、運営の方式はダムが建設目的に従つて有効に機能するよう管理協定、操作規則等によつて定められるのであり、利水目的のみが優先されることはありえない。また、ダムの管理、運営に関する取決めを変更するときは、建設費用を負担した者の同意が必要であり、特に利水容量の変更を伴う取決めの変更は利水者の特段の理解と協力を要し、たやすくできるものではない。

そもそも、ダムにおける洪水調節容量及び洪水調節方式は河川の改修計画の一環として定められるものである。長安口ダムの洪水調節容量及び予備放流水位の最低限度は、治水安全度一〇〇分の一の洪水(百年に一度の確率で発生する洪水のこと)を対象として計画されたものであり、この計画規模は他の河川のダム計画と対比して、治水安全度において何ら遜色のないものである。これらの事項を規定した操作規則等の制定に当つては、国の指導を受け、建設大臣の承認も受けている。また、本件台風当時においては、長安口ダムについて洪水調節機能を高めるために予備放流水位の最低限度を下げることを必要不可欠とし、これを放置することが河川管理の一般的水準に照らして河川管理者の怠慢であるといえるような事情は存在しなかつた。本件台風後、昭和四八年に長安口ダムの予備放流水位の最低限度が変更されたが、これはダム下流の地域の発展を考慮し、また、ダムへの流入量が小さくても下流域での雨の降り方によつては大洪水が発生する場合があるとの経験を活かし、那賀川の工事実施基本計画の内容(計画高水流量毎秒六四〇〇立方メートルのうち毎秒一〇〇〇立方メートルをダムで調節し、毎秒五四〇〇立方メートルを放流する。)はそのままにして、出水頻度の高い中小規模の洪水に対して洪水調節効果を少しでも高めるため、利水者の特段の理解と協力を得て行つたものであり、もとより従来の操作規則等の定めに不備があつたために変更したものではない。

(2) 細則第九条第一項第二号は、ダムの貯水位が予備放流水位の最低限度より下にある場合には、気象状況、ダムへの流入量、貯水池の水位等により貯留する場合もあるし、直ちに放流しなければならないこともあることから、「貯水池から放流しながら、またはしないで」と規定したものであり、この規定はこれらの場合のことを正確に表現しているのであつて、誤つたものではない。そもそも、ダムは予測しがたい多様な気象、水象状況のもとで管理されるものであり、ダム操作規則はいかような気象、水象状況においても対応しうるように作成されているのである。ダムは管理者がそのような操作規則を適切に運用することによつて、はじめて、その機能を完全に発揮することになる。昭和四八年に右規定を改正したのは、管理事務所長の判断をできるだけ少なくし、より操作が容易に行えるようにしただけのことである。

洪水が予想される場合にはダムの管理体制は利水者から河川管理者に引き継がれ、そのことは県庁はじめ関係機関に通知されており、ダム管理者の意識の上においても平常時の体制から洪水警戒体制への切替えが行われる。したがつて、洪水警戒体制下においても管理者の意識が利水優先の方向に働くというようなことはありえない。

(3) 昭和二五年のジェーン台風当時は、那賀川では流量観測所が設置されておらず、ジェーン台風の洪水流量は観測水位から推算されたものであり、長安口地点の流量は別の小浜地点の推算値からさらに流域面積換算したものである。したがつて、規則添付の資料一を作成するに当つては、ジェーン台風の洪水流量は参考とするに止め、実際に観測された実績値を包含するように安全側に予測線を引いたものである。

3 洪水時のダム操作上の誤りについての主張について

本件台風時の長安口ダムにおけるダムの操作状況は次のとおりである。

八月三〇日午前三時四〇分、徳島地方気象台から降雨に関する警報(暴風雨・波浪・高潮警報、洪水注意報)が発令されたので、長安口ダムでは、管理事務所長が平常時のダムの管理者である管理主任技術者からダム及び貯水池の管理を引き継ぎ、同五時、洪水警戒体制をとつた。この時点で、徳島地方気象台からの台風情報等をもとにし、総雨量と最大流入量との相関図等を使用して行つた洪水予測によれば、最大流入量毎秒三〇〇〇ないし四〇〇〇立方メートルの洪水があることが予測された。このときの貯水位は標高215.64メートルであつて、予備放流水位の最低限度(標高221.7メートル)よりも6.06メートル下位にあり、時間平均流入量も毎秒二三一立方メートル、雨量はダムの地点で午前零時から同五時までの時間平均で四ミリメートルであつたため、規則第一九条各号に定める、貯留された流水を放流することができる場合には該当せず、ダムからの放流量は発電用の毎秒六〇立方メートルのみであつた。また、洪水予測では最大流入量は毎秒三〇〇〇ないし四〇〇〇立方メートルであり、この限度では流入量に等しい流水を放流すれば足り(規則第一六条第一号)、特に洪水調節の容量を必要としなかつたが、貯水位が標高221.7メートル未満であつたため、管理事務所長は予備放流水位を規則所定の最低限度と同じ標高221.7メートルに設定した。

その後、午前九時から同一〇時にかけて長安口ダムの上流域に時間平均三三ミリメートルの降雨があつたが、それまでの降雨量は時間平均で二ないし九ミリメートル程度であつて少なく、台風は遠くにあつたことから、管理事務所長は右三三ミリメートルの降雨は一時的なものと判断した。午前一〇時の時点では、貯水位は標高218.75メートルであり、予備放流水位より2.95メートル低く、時間平均流入量も毎秒487.6立方メートルであつた。

午前一一時の時点での時間平均流入量は毎秒621.8平方メートル、貯水位は標高219.81メートルであつて、予備放流水位までには1.89メートルの余裕があつた。しかしながら、ダム上流域に時間平均四一ミリメートルの強い降雨があり、貯水位の上昇が午前八時から同一〇時にかけては一時間当り平均六五センチメートル程度であつたものが、午前一〇時から同一一時にかけては一〇六センチメートルと急上昇し始め、さらに午前九時から同一一時にかけて時間平均流入量が毎秒約一三〇立方メートル増加している状況であつたので、午後零時三〇分ころには貯水位が予備放流水位に近づくものと予測された。そこで、管理事務所長は細則第一二条所定の関係機関への事前の通知等に要する時間を考慮して、午前一一時に、放流開始時刻を午後零時三〇分と決定した。これより先、徳島地方気象台からは午前六時二〇分に台風情報四号(大型の強い台風が同日夕刻ころ四国西部に上陸するおそれがある。徳島県地方に最も接近するのは夜半ころで風雨はますます強くなる。雨量は山岳部で三〇〇ないし四〇〇ミリメートル、平野部で一〇〇ないし一五〇ミリメートルと予想される。)が発表されており、これをもとにした洪水予測では、当夜半ころ毎秒四〇〇〇立方メートルの流入量があると予測されていた。

ところが、午前一一時から正午にかけて、ダムの流域にはさらに時間平均三七ミリメートルの降雨があり、また台風は前線を伴つていなかつたにもかかわらず、予測に反して雨が続き、右時間帯に流入量は毎秒776.6立方メートルと急上昇し、午前一一時五〇分ころには貯水位は予備放流水位を越えてしまつた。放流を開始した午後零時三〇分の時点での貯水位は標高223.55メートルであり、その直前の正午から午後零時三〇分までの流入量は毎秒一六〇〇立方メートルであつたが、午後零時四五分ころには流入量は毎秒二〇〇〇立方メートルに達した。しかしながら、放流を開始してからも細則第九条第一項第一号所定の制限があつて、放流量を急激に増やすことはできず、徐々に増やしていつて、午後一時一〇分ころようやく放流量が流入量に追いついた。このときの貯水位は標高224.24メートルであり、時間平均流入量は毎秒二二〇〇立方メートルであつた。

午後一時一〇分に、午前一〇時から午後一時までの間にダム上流域で時間平均四〇ミリメートル程度の雨が降り続いていたことから、改めてラショナル式を用いて洪水予測をしたところ、二ないし三時間後に毎秒三八〇〇立方メートル程度の流入量があることが予測されたが、一方、午前一一時一〇分に徳島地方気象台が発表した台風情報五号は同四号と内容に変りがなかつたので、毎秒四〇〇〇立方メートルの最大流入量が当夜半にあるとの予測は不変であつた。このときの貯水位標高224.24メートルによつて満水位(標高225.00メートル)までの空容量を求めたところ、一六〇万立方メートルであつたので、これで右に予測した洪水には十分に対処できると判断した。

ところが、午後二時二〇分、徳島地方気象台は暴風雨・波浪・高潮・洪水警報(今後の雨量は平野部で一〇〇ないし一五〇ミリメートル、山岳部で三〇〇ないし四〇〇ミリメートル、ところによりそれ以上の雨量が予想される。)を発令し、午後二時四〇分には台風情報六号を発表した。これによると、ダム上流域には今後時間平均五〇ミリメートル以上の雨量があることが予測されるうえ、それまでに既に三五〇ミリメートル以上の降雨実績があつたことから、洪水予測も変更され、当夜半には計画規模の毎秒六四〇〇立方メートル程度の最大流入量があるものと予測された。そうすると、これに対処するためにはその時点での空容量一六〇万立方メートルでは足りず、計画どおり、毎秒一〇〇〇立方メートルをカットし、最大放流量を毎秒五四〇〇立方メートル以下にするためには四七〇万立方メートルの空容量が必要であり、貯水位を222.8メートルにまで引き上げる必要があつた。そこで、午後三時から同六時四〇分まで流入量に毎秒二〇〇ないし三〇〇立方メートルを加えて過剰放流を続け、四七〇万立方メートルの空容量を確保したのである。その間の最大放流量は午後三時四〇分から同四時一〇分にかけての毎秒4780.8立方メートル(発電用の放流毎秒六〇立方メートルを含む。)、最大流入量は同じ時間帯における毎秒4606.8立方メートルであり、最大時間平均放流量は午後四時から同五時にかけての毎秒4645.54立方メートル(発電用の放流毎秒六〇立方メートルを含む。)であつた。また、その間、午後四時からは流入量が減少し、ピークを脱したので、午後四時一〇分から放流量もこれに合わせて減じ、午後六時四〇分からは自流放流に戻した。

以上の経過に則してみると、予測に反して、午前一一時五〇分ころ貯水位が予備放流水位を越えてしまつたのは、一時的とみられた降雨が午前一〇時以降も続き、放流開始前に流入量が急上昇したためである。しかしながら、午前六時から同一〇時までの貯水位の上昇は一時間当り六〇ないし七〇センチメートルにすぎなかつたのであり、午前一〇時の時点での貯水位は予備放流水位より2.95メートルも下にあつたことに加えて、右時間帯における時間平均雨量は二ないし九ミリメートルと比較的少なく、当時は現在のように刻々と変化する台風の模様が気象情報として的確に与えられる状況にもなかつたことからすると、管理事務所長において、午前一〇時の時点での降雨を台風前期の一時的なものであると判断し、放流開始を午後零時三〇分と決定したことには何の落ち度もない。午後一時の時点で空容量一六〇万立方メートルを確保しておけば、その後の洪水に十分対処できると判断したことも、午後二時二〇分に暴風雨・波浪・高潮・洪水警報が発令されるまでは止むをえなかつたことである。午後三時から同六時四〇分にかけての過剰放流は、台風情報六号をもとにした洪水予測に基づき、下流平野部における破堤及び中間流域での浸水による被害の発生を防止するのに必要な空容量を確保するために行つたものであり、避けることのできなかつた措置である。このように、長安口ダムにおいては、本件洪水時におけるダムの操作は規則及び細則の定めるところに従つて的確に行われており、誤りは存しない。

第三  証拠<省略>

理由

一原告らは、徳島県の中西部に位置する剣山に源を発し、同県南部を東流して紀伊水道に注ぐ一級河川「那賀川」の中流部沿岸に位置する徳島県那賀郡鷲敷町の「和食地区」に居住し若しくは事業場(<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、その所在地番は別紙原告別「損害等明細表」中、「住所」欄に記載のとおりであることが認められる。)を有している者であること、被告国は那賀川及び那賀川水系中の古屋谷川など一級河川の管理義務を有し、那賀川の和食地区から約三七キロメートル上流に設けられた「長安口ダム」を被告県と共有していること、被告県は長安口ダムを被告国と共有し、河川法第九条に基づき、知事がこれを管理していること、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。そして、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。すなわち、南鳥島の南海上に発生した弱い熱帯性低気圧は昭和四六年八月二一日午前九時には台風(台風二三号)となり、同月三〇日午後八時前、高知県南国市付近に上陸し、剣山付近を経て徳島県の中央部を通つて北東に縦断し、夜半すぎには瀬戸内海へ抜けた。この台風は四国地方に上陸後は急速に衰えたが、前線を伴つていなかつたにもかかわらず、徳島県の中部から南部にかけての山間部に多量の降雨をもたらした。そのため水嵩を増した那賀川の流水は、同日午後四時三〇分ころ、河岸を越えて右岸の和食地区へと流入し始め、同地区では、床上浸水九二戸、床下浸水三六戸という被害が発生した。このとき、浸水は午後六時二〇分ころ頂点に達したが、同三〇分ころには退き始め、同八時ころ完全に収まつた。原告らはいずれも、その際、その住居若しくは事業場等に浸水による被害を受けた者である。以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

二長安口ダムとその管理、運営

1  ダムの概要

<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  那賀川水系は、その源を徳島県那賀郡に所在する剣山に発し、徳島、高知両県の県境の山脈を東麓に沿つて南下し、坂州木頭川、赤松川を合わせ、徳島県阿南市上大野において平野部に出て紀伊水道に注いでいる。その流域は徳島県に属し、面積は八八〇平方キロメートルに及び、同県南部における社会、経済の基盤をなしており、したがつて、那賀川水系における治水と利水は大きな意義をもつている。

(二)  同水系の治水事業は昭和四年から国の直轄事業として推進され、下流部の古庄地区において計画高水流量を毎秒八五〇〇立方メートルとすることを事業計画の基本として、古庄地区から河口までの区間について築堤、護岸等の改修工事が施工され、事業計画の大部分は竣工をみるに至つていた。ところが、昭和二五年九月に襲つたジェーン台風による出水は右計画高水流量を超えて毎秒九〇〇〇立方メートルを突破し、下流域に大きな被害をもたらした。そこで、これを契機として、ダムの建設による洪水調節計画を含めた新たな事業計画が立てられた。これに基づいて建設されたのが長安口ダムであり、建設工事は昭和二五年に着工され、同三一年三月に完成した。

(三)  ところで、長安口ダムは単に洪水調節のみを目的とするものではなく、かんがい及び発電をも目的としたいわゆる多目的ダムとして建設されたものである。その建設計画によると、洪水調節については、長安口ダムの所在地点における百年確率(治水安全度一〇〇分の一、大正四年から昭和二四年までの資料により一〇〇年に一度の割合で起こると考えられる洪水)に相当する洪水流量毎秒六四〇〇立方メートルのうち一〇〇〇立方メートルをダムにおいて調節し、放流量を毎秒五四〇〇立方メートルとし、下流の古庄地区における流量を毎秒五〇〇立方メートル軽減して計画高水流量毎秒八五〇〇立方メートルを保持することになつており、かんがいについては、ダム貯水池からかんがい期に毎秒30.9立方メートル、非かんがい期に毎秒17.7立方メートルを供給することになつている。発電についてはダムから最大毎秒六〇立方メートル、常時毎秒18.78立方メートルを取水し、最大出力六万一〇〇〇キロワット、常時出力一万八七〇〇キロワット、年間発生電力量二億九四一三万五〇〇〇キロワット時の発電を行うことになつており、発電された電力は工業用として阿南市等に供給されている。

(四)  長安口ダムは那賀川の河口から六五キロメートル上流の徳島県那賀郡上那賀町長安口にあり、堤高85.5メートル、堤頂長二〇〇メートルの重力式コンクリートダムであつて、放流設備としては高さ14.7メートル、幅一〇メートルのクレストゲート六門をそなえており、最大放流能力は毎秒七〇〇七立方メートルである。ダム貯水池の総貯水容量は五四二七万八〇〇〇立方メートルであり、そのうち有効貯水容量は四三四九万七〇〇〇立方メートルである。そのほか、満水位の標高は225.0メートル、最低水位は標高195.0メートル、利用水深は30.0メートル、湛水面積は2.24平方キロメートルとなつている。

なお、長安口ダムから21.5キロメートル下流には発電用利水ダムとしての「川口ダム」が設けられているが、このダムは洪水調節を目的としておらず、洪水時には流入量をそのまま放流している。

2  ダムの管理

<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  長安口ダムの管理、運用については、河川法第一四条に基づき、昭和四四年一一月五日に建設大臣の承認を受けた「長安口ダム操作規則(昭和四五年八月一一日徳島県規則第六三号)」(規則、昭和四八年一一月に一部改正)及びその運用の細部について定めた「長安口ダム操作細則」(細則、昭和四八年一一月に一部改正)が、同法第四七条に基づき、昭和四五年六月二九日に建設大臣の承認を受けた「長安口ダム操作規程(昭和四五年八月一一日徳島県企業管理規程第一〇号)」(昭和四八年一一月に一部改正)が、それぞれ制定されており、前者は洪水時における、後者は平常時におけるダムの管理、運営について規定している。ダムの管理、運営は、これらの規則及び細則並びに規程の定めるところに従つて行われるのであるが、長安口ダムについては、このダムが治水と利水の両目的を有する多目的ダムであるため、ほかに河川管理者としての徳島県知事と企業管理者(電気事業者)としての同県知事との間に昭和四二年三月一〇日(昭和四六年三月二二日に一部改正)に取り交された「長安口ダムの管理に関する協定書」があり、この協定書においては、河川管理者としての徳島県知事は規則及び細則に基づいて洪水調節に関する業務を行い、徳島県公営企業管理者としての同県知事は前記操作規程に基づいて洪水調節に関する業務以外の業務を行うことになつている。これを徳島県内部の職務分掌についてみると、前者の業務は土木部河川課の、後者の業務は企業局の各所管とされ、実際のダムの管理、運営は、平常時においては管理主任技術者(河川法第五〇条第一項)が行い、洪水時には管理主任技術者はダムの管理を管理事務所長に引き継ぎ、管理事務所長が洪水調節に関する業務を行うわけであるが、徳島県内部の人事配置においては、現実には管理主任技術者と管理事務所長の職は同一人が兼務している。

(二)  前記操作規程の定めるダムの日常の管理業務は、(1)気象、水象等について調査測定を行う、(2)点検整備基準、調査測定基準に従い、定期的に点検整備及び調査測定を行い、ダムの正常な機能が保持されるよう安全管理を行う、(3)貯水池及びダム本体の周辺を定期的に巡視し、貯水池とダム本体が正常な状態に維持されるよう管理する(第一六条、第一七条)、以上のとおりである。そして、管理主任技術者は、気象台から、ダムにかかわる直接集水地域の全部又は一部を含む予報区を対象として、風雨注意報又は大雨注意報が発せられ、その他洪水が発生するおそれがあると認められるときは予備警戒体制をとる(第六条)。このときにとるべき措置は、(1)要員を確保する、(2)必要な機械、器具、施設及び資材等の点検並びに整備を行う、(3)気象情報を収集する、(4)定められた通報を行う、(5)ダム操作に関する記録を作成する、(6)その他管理上必要な措置をとる(第一九条)、以上のとおりである。

(三)  管理事務所長は、気象台から降雨に関する警報が発せられたとき、その他洪水が予想されるときは、管理主任技術者からダム及び貯水池の管理を引き継ぎ洪水警戒体制をとる(規則第一三条)。このときにとるべき措置は、(1)定められた機関との間で連絡をとり、気象、水象等の情報の収集を密にする、(2)最大流入量、洪水総量、洪水継続時間及び流入量の時間的変化の予測を行う、(3)洪水調節計画を立て、予備放流水位を定める、(4)ゲート並びにゲート操作に必要な機械及び器具の点検、整備、予備電源設備の試運転その他ダム操作に関して必要な措置をとる(規則第一四条)、以上のとおりである。そして、管理事務所長は、洪水警戒体制を維持する必要がなくなつたと認める場合においては、ダム及び貯水池の管理を管理主任技術者に引き継ぎ、洪水警戒体制を解除する(規則第一七条)。

3  ダムによる洪水調節

<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  一般にダムによる洪水調節は、洪水時に、上流から貯水池へ流入する流水の一部を貯水池内に貯留し、ダムからの放流量を貯水池への流入量よりも少なくして、下流での流水の流量を軽減するという方法によつて行われる。そのため、ダムにおいては、洪水に際しては、予め放流によつて貯水池の水位を下げ、貯留する流水の容量に相当する分だけ貯水池を空にしておく必要があり、このようにして確保された貯水池の容量が洪水調節容量であつて、洪水調節容量を確保しておくために行われる事前の放流が予備放流である。長安口ダムにおいては、昭和四六年当時は、規則上、貯水池の満水位は標高二二五メートルとし、予備放流水位の最低限度は標高221.7メートルと定め、洪水調節はその間の容量六九〇万立方メートルを利用して行うものとされていた(第六条、第八条、第九条)。これは、過去最大の出水を記録した昭和二五年九月のジェーン台風の際、治水の基準地点である下流の古庄地区において、国の直轄のもとに推進された河川改修事業において計画の基本とされた計画高水流量毎秒八五〇〇立方メートルを超え、毎秒九〇〇〇立方メートル以上の出水をみたことから、過去の記録上、古庄地区において毎秒九〇〇〇立方メートルの出水を伴う洪水が一〇〇年に一度の割で起こる(百年確率)ことを想定し、ジェーン台風時の洪水波型を計画上の洪水波型モデルとして、右出水を計画高水流量である毎秒八五〇〇立方メートルに押えるためには、右出水に見合う長安口ダムの所在地点での貯水池への最大流入量毎秒六四〇〇立方メートルのうち一〇〇〇立方メートルを調節し、最大放量を毎秒五四〇〇立方メートルとする必要があるとの考え方を基本に据え、毎秒四〇〇〇立方メートルから同五四〇〇立方メートルまでの洪水についてもその一部を調節することをも加味して、この場合に要する洪水調節容量がいくらとなるかという観点から割り出されたものである。

(二)  洪水調節はまず、予備放流水位を定めて貯水池の水位をこれに合わせ、その水位を維持することから始められる。予備放流水位は規定上では予想される洪水に応じてその最低限度(標高221.7メートル)の限度内でその都度定められる建前になつてはいるが、実際には、洪水はモデルどおりの波型をとつて襲来するとは限らないし、最大の調節容量を確保しておけば問題はないとの考え方から、長安口ダムにおいては、常にその最低限度と同じく標高221.7メートルと定められる慣行が成立していた。洪水警戒体制に入つた時点では、貯水池の水位は定められた予備放流水位より高い場合もあるが、それまでの雨量が少なかつたときなどには予備放流水位より下がつていることもある。前者の場合には、管理事務所長は水位を予備放流水位まで下げるためにダムのゲートを開いて放流(予備放流)をしなければならない(規則第一五条)。後者の場合には、貯水池への流水の流入量よりも少ない量の放流(予備放流)を続けることによつて、または放流はしないで、流入量をそのまま貯留することのいずれかの方法によつて、水位を予備放流水位に合わせることになる。こうして、貯水池の水位が予備放流水位に達した後は、流入量は相当する流量の放流を続けて予備放流水位を維持し(細則第九条第一項第二号)、来たるべき洪水に備える。そして、流入量が毎秒四〇〇〇立方メートルを超えたときは、これが最大流入量(毎秒六四〇〇立方メートル)に達するまでは、

毎秒{(流入量−4,000)×0.583+4,000}立方メートル

の算式によつて算出された流量の放流が行われ、流入量が最大に達した後においては、

毎秒{((最大流入量−4,000)×0.583+4,000}立方メートル

の算式で算出された流量を限度として、流入量が当該放流量に等しくなるまで放流が続けられ(規則第一六条)、このようにして洪水調節が行われる。

(三)  ところで、貯水池に貯留された流水を放流するには、特定多目的ダム法(昭和三二年法律第三五号)第三二条の規定に準じて、関係機関に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならず(規則第二四条)、それにはおおよそ一時間を必要とする。また、関係機関に対する通知は遅くとも放流を開始する約一時間前に行うのを原則とし、一般に対するサイレンによる警報は遅くとも放流開始の約三〇分前に行わなければならない(細則第一二条)。そして、ダムからの放流を開始するについても、はじめから大量の放流をすることは下流において急激な水位の変動を生ずるので許されず、それには細則第九条により一定の制限が設けられている。したがつて、洪水警戒体制に入つた後、貯水池の水位を予備放流水位に合わせるための予備放流をいつ開始するかは関係機関に対する通知等に要する時間及び放流の方法についての細則上の制約等を考慮して決定されるべきことはもとより当然のことである。

(四)  のみならず、ダムによる洪水調節を最も効果的に行うためには、当該ダムの流域内に降つた雨が、いつ、どのような状態で貯水池へ流入してくるかを迅速かつ的確に把握することが必要不可欠の前提である。しかしながら、今日の気象観測技術並びに気象学は急速な進歩を遂げているとはいえ、いまだ、その精度の高い予測方式を確立するには至つていない。この点について、規則は、管理事務所長に対し、洪水警戒体制に入つたときは、最大流水量、洪水総量、洪水継続時間及び流入量の時間的変化を予測して、洪水調節計画を立て、予備放流水位を定めることを義務付け(第一四条)、これを受けて、細則は、(1)最大流入量及び洪水継続時間は総雨量及び時間雨量から推定する、(2)流入量の時間的変化は最大流入量を頂点とする三角形により推定する(第五条)、と定めるに止まつている。そのため実際の洪水予測は、気象台からの気象情報によつて与えられた降雨総量等やダム上流において降つた雨の量、現に貯水池へ流入している流水の流量をもとにし、過去の洪水記録や経験等を参考にして、規則及び細則の定めに則つて行われている実状である。

三昭和四六年台風二三号襲来の際のダムの操作状況

<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  昭和四六年八月二九日午前九時二〇分、徳島地方気象台は、風雨・波浪注意報を発令し、次いで、同日午後六時三〇分、大雨・強風・波浪注意報を発令し、併せて、今後、平野部で七〇ないし一〇〇ミリメートル、山岳部で一五〇ないし二〇〇ミリメートル、ところにより二〇〇ないし三〇〇ミリメートルの降雨があるとの予報を発表したので、長安口ダムにおいては、同日午後九時、予備警戒体制がとられた。この時点での管理主任技術者による洪水予測では、今後、貯水池へは毎秒一〇〇〇ないし二〇〇〇立方メートルの最大流入量があるとの結論が出され(当時、長安口ダムにおいては、貯水池への流入量の把握については、放流量と貯水池の水位の時間的変化を観測し、放流量及び時間当りの貯留量の和を計算してこれを求めるという方式が採用されていた。)、このときの貯水位は標高214.54メートルであり、時間平均流入量は毎秒72.7立方メートルであつた。

2  翌三〇日午前三時四〇分には徳島地方気象台から暴風雨・波浪・高潮警報、洪水注意報が発令されたので、管理事務所長は管理主任技術者からダム及び貯水池の管理を引き継ぎ、同五時に洪水警戒体制をとつた。このときの貯水位は標高215.64メートルであり、貯水池への流水の時間平均流入量は二三一立方メートルであつた。雨量はダムの所在地点で午前零時から同五時までの時間平均で四ミリメートルほどであつたが、前記気象情報をもとにした洪水予測によると、今後毎秒三〇〇〇ないし四〇〇〇立方メートルの貯水池への流入量があることが想定されたので、管理事務所長は、貯水池の予備放流水位をその規則上の最低限度と同じく標高221.7メートルと定めた。

3  同日午前一〇時の貯水位は標高218.75メートルであり、午前六時から同一〇時までの一時間当りの貯水位の上昇は六〇ないし七〇センチメートル、午前一〇時の時点での流入量は毎秒487.6立方メートルであつた。もつとも、午前九時から同一〇時にかけては長安口ダムの上流域に平均三三ミリメートルの降雨があつたが、管理事務所長は、それ以前の降雨量が少なかつたことから、右時間帯における降雨は一時的なものであると判断した。午前一一時の時点においても、流入量は毎秒621.8立方メートルであり、貯水位は標高219.81メートルであつて、予備放流水位221.7メートルよりも約1.9メートルほど下にあつた。しかしながら、徳島地方気象台からは、午前六時二〇分に台風情報四号(「種が島レーダーによると、台風は三〇日午前六時現在宮崎市の南西方約三〇キロメートルにあつて、北北東に毎時一五キロメートルの速さで進んでいる。中心気圧は九六〇ミリバールの大型の強い台風となつており、中心付近の最大風速は四〇メートル、風速二五メートルの地域は半径二五〇キロメートル以内、風速一五メートルの地域は半径五〇〇キロメートル以内であつて、この範囲が暴風圏となつている。このまま進むと、今日夕刻ころ四国西部に上陸する可能性も出てきた。徳島県地方も今日昼ころから暴風雨圏に入り、最も接近するのは今夜半ころであり、風雨はますます強くなる。雨量は山岳部で三〇〇ないし四〇〇ミリメートル、平野部で一〇〇ないし一五〇ミリメートルであつて、今後の台風の進路によつては重大な災害をもたらすことがあるので、今後の気象情報には注意を要する。」)が発表されており、これをもとにして洪水予測を行つたところ、流入量は八月三一日午前零時ころ最大で毎秒四〇〇〇立方メートル程度に達することが想定された。加えて、貯水位の上昇は同月三〇日午前八時から同一〇時にかけては一時間当り六五センチメートルであつたのが、午前一〇時から同一一時にかけては一時間当り一〇六センチメートルに急上昇し、また流入量については午前九時から同一一時にかけて一時間平均で毎秒一三〇立方メートルずつの増加(午前九時の時点での流入量毎秒361.2立方メートルと同一一時の時点での流入量毎秒621.8立方メートルとの差をその間の時間数で除したもの。)がみられた。このような状況から、管理事務所長は、貯水位は午後零時三〇分ころには予備放流水位に接近するものと判断し、放流開始時刻を午後零時三〇分と定めて、関係機関(一七か所)に対する電話による通知及び下流域の一般住民に対するサイレンによる警報(一五か所の警報所に対して電話でサイレンの吹鳴を依頼)の措置にとりかかつた。

4  ところが、管理事務所長の予測に反して、一時的とみられた降雨は午前一一時以降も継続し、午前一一時から午後零時にかけて、ダム上流域での雨量は平均三七ミリメートルを記録し、流入量は毎秒1398.4立方メートルへと急激な増加を見せ、貯水位は放流開始前の午前一一時五〇分ころには既に予備放流水位を越えてしまつた。そして、午後零時三〇分には貯水位は標高223.55メートルに達し、流入量は、その直前の午後零時から同零時三〇分までは毎秒一六〇〇立方メートルであつたものが、午後零時四五分ころには毎秒二〇〇〇立方メートルを超えるに至つた(前示乙第四号証によれば、規則上では、貯水池への流水の流入量が毎秒二〇〇〇立方メートル以上となつた場合、その流水を「洪水」という、と定義されていることが認められ、したがつて、長安口ダムの所在地点では午後零時四五分ころに規則にいう「洪水」が襲来したことになる。)。

一方、ダムからの放流は、午後零時に警報のサイレンを吹鳴し、午後零時三〇分にゲートを開くことによつて開始されたが、規則上の制限から急激に大量の放流をすることはできないため徐々に放流量を増やしていき、これが毎秒二〇〇〇立方メートル(前示乙第四号証によれば、規則上では、これが予備放流としての放流量の最大限度とされていることが認められる。)に達したのは午後一時一〇分ころであり、このときの貯水位は標高224.24メートル、時間平均流入量は毎秒2198.9立方メートルであつた。その間にもダムの上流域では一時間当り四〇ミリメートルの降雨が続いており、右の時点で、このことを考慮してラショナル式を用いて洪水予測をしたところ、二ないし三時間後に毎秒三八〇〇立方メートル程度の流入量があるとの結論が出されたが、午前一一時一〇分に徳島地方気象台から発表された台風情報五号によつても、徳島県地方に関する限り台風の状況は従前と変りなく、右情報は台風の夜半の接近を警告するものであつたことから、管理事務所長は、毎秒四〇〇〇立方メートルの最大流入量が三〇日夜半に襲来するとの従前の予測を変える必要はなく、貯水位が標高224.24メートルに達していても満水位の標高二二五メートルまでには一六〇万立方メートルの空容量が残されているので、二ないし三時間後にあると予測される毎秒三八〇〇立方メートル程度の流入量が仮に毎秒四八〇〇立方メートルぐらいになつてもこれで十分対処できると判断した。そこで、午後一時四〇分に放流量(毎秒2371.4立方メートル)が流入量(毎秒2431.4立方メートル)にほぼ追い付いてからは貯水位(標高224.25メートル)を予備放流水位(標高221.7メートル)まで下げようとはせず、午後一時四〇分から同三時までの間は、ほぼ流入量に等しい量の放流をすること、すなわち自流放流を続けた。

5  その間に、徳島地方気象台は午後二時二〇分に暴風雨・波浪・高潮・洪水警報を発令し、午後二時四〇分には台風情報六号が発表されたところ、右警報等による台風及び降雨の状況は「台風二三号は一三時現在、足摺岬の西南七〇キロメートル付近の北緯32.5度、東経132.3度にあり、東北東へ毎時二〇キロメートルで速度を早めながら進行している。中心気圧は九七〇ミリバール、中型で並みの台風となつている。中心付近の最大風速は三五メートル、風速二五メートルの半径は南東側五〇〇キロメートル、北西側三〇〇キロメートルであり、このまま進むと一五時ころ足摺岬をかすめて土佐湾に出る見込みである。徳島県地方に最も接近するのは今夜半ころで風雨は今後ますます強くなる。一二時の室戸レーダーによれば、四国上空は雨雲に覆われ、特に強い雨雲が紀伊水道、室戸岬、高知県中部のそれぞれより南東に伸びている。今後の雨量は山岳部で三〇〇ないし四〇〇ミリメートル、平野部で一〇〇ないし一五〇ミリメートル、ところによりそれ以上の雨量が予想され、今後の台風の進路によつては重大な災害をもたらすおそれがある。」というものであつた。そこで、管理事務所長は、これまでに既に上流域において三五〇ミリメートル以上の降雨実績があることでもあり、右台風情報六号等による台風の予想進路及び今後の降雨量をもとにし、徳島県土木部河川課とも協議のうえ、改めて洪水予測をした結果、夜半には計画規模の毎秒六四〇〇立方メートル程度の洪水が襲来するとの結論に達した。そうすると、計画どおり、このうち毎秒一〇〇〇立方メートルを調節し、最大放流量を毎秒五四〇〇立方メートル以下に押えるためには一六〇万立方メートルの空容量では足りず、それに必要な四七〇万立方メートルの空容量を確保するため貯水位を222.8メートルにまで下げることを決定した。そこで、午後三時一〇分から同六時四〇分までの間、流入量に毎秒一〇〇ないし三〇〇立方メートルを加えた量の流水を放流し(前示乙第四号証によれば、規則第一六条は、気象、水象その他の状況により、例外的に同条各号所定の方法によらない放流も認めていることが認められる。)、四七〇万立方メートルの空容量を確保した。このうち午後三時四〇分から同四時一〇分までの間には最大の毎秒4780.8立方メートル(このうち六〇立方メートルは発電用の放流)を放流し、その間の最大流入量は午後三時五〇分の時点での毎秒4606.8立方メートルであり、右過剰放流中の最大時間平均放流量は午後四時から同五時にかけての毎秒4645.54立方メートル(このうち六〇立方メートルは発電用の放流)であつた。なお、流入量以上の放流を開始するに当つては、長安口ダム管理事務所から鷲敷町に対し午後三時三〇分現在の状況を通報し、浸水の注意を促した。

6  ところで、右のようにして過剰放流を開始した一時間後の午後四時からは流入量が減少し始め、ピークを脱したので、午後四時二〇分からは放流量をこれに合わせて減らしていき、午後六時四〇分からは自流放流に戻した。その後、流入量は次第に減少し、夜半に襲来が予想された計画規模の洪水は実際には現出せず、夜半に記録された流入量は毎秒1651.6立方メートルであつて、流入量はその後も減少し続けた。

以上の事実が認められる。そして、一方、<証拠>並びに検証の結果によれば、次の事実が認められる。

1  原告らの住居若しくは事業場のある鷲敷町の和食地区は長安口ダムから那賀川の下流約三七キロメートルの右岸に位置する山間の集落であり、比較的狭い地域に建物が寄り集まつて、中心部は町並みを形成し、地区内には住民の住居のほか、学校、工場、事務所等も存在している。

2  那賀川は和食地区付近に至つて、ここからU字型に、西から東へ、東から西へと大きく蛇行しており、和食地区の東側では、支流の南川と中山川が合流し、那賀川へと注いでいる。

3  和食地区は地形的に東側が低く、西側はそれよりもやや高い位置にあり、住民の住居、学校、工場、事務所等は西側にあり、東側は水田地帯となつていて、前記南川と中山川は南側の山岳部からその水田地帯を縫つて流れている。

4  和食地区においては、昭和四六年八月三〇日は、午前中は小雨程度のものがあつただけで、ほとんど降雨らしいものはなく、那賀川の流水の水量もいつもと変りがなかつた。降雨がにわかに激しくなつたのは午後二時ころからのことであり、出水はまず、午後四時ころ、東側の水田地帯に現われ、急激に水嵩を増し、午後四時二〇分ころには西側の集落に押し寄せた。その後も水嵩は増え続け、午後六時二〇分ころ、最高に達したが、この時点では、地区内の住居のなかには床上二メートル近くも浸水し、二階建居宅の一階部分のほとんどが水没してしまつたものも見られた。ところが、出水はその後間もなく引き始め、午後八時ころには完全に収まつた。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

以上の事実によれば、和食地区での出水の時間帯は午後四時ころから同六時二〇分ころまでのことであり、長安口ダムにおいて過剰放流が行われたのは午後三時一〇分から同六時四〇分までのことであること、和食地区は長安口ダムから那賀川の約三七キロメートル下流にあり、後述のとおり、21.5キロメートル下流にある川口ダムと長安口ダム間の洪水伝播時間は約一時間であつて、その間の洪水時の流水の速度を、原告ら主張のように、洪水伝播速度とほぼ等しいとみるか、被告ら主張のように、それより遅く洪水伝播速度が流水速度の1.35倍とみるべきかは問題の存するところであるとしても、以上の事実関係からすれば、和食地区における出水の一部には長安口ダムで前記時間帯に過剰放流された流水の一部が含まれているとの推認を否定することはできない。

ところで、原告らは、長安口ダムからは洪水時に一時的に毎秒一万一〇〇〇立方メートル、少なくとも毎秒七〇〇〇ないし八〇〇〇立方メートルの過剰放流が行われたのであつて、ダムゲート操作記録表上の数値は虚偽のものであると主張する。<証拠>によれば、原告らの右放流量についての主張は、京都教育大学教授木村春彦を中心とする民間の調査研究団体である「国土問題研究会」所属の学者、その他の専門家による本件水害についての調査報告によつたものであり、右調査報告においては、洪水時の長安口ダムからの最大放流量は毎秒九四二〇立方メートルと推定できるとされているところ、これは、河川の流水の流量は流量断面積と平均流速との積として求めることができるとの考え方のもとに、(1)長安口ダムから約四〇〇メートル下流の河岸の住民の証言によつてえられた洪水痕跡をもとにして、その地点における流量断面積を測量すると、一五七〇平方メートルである、(2)長安口ダムの放流量のピークと、それより21.5キロメートル下流にある川口ダムの流入量のピークとの間には約一時間の時間的ずれがあることが認められ、したがつて、洪水波は右両ダム間の距離(21.5キロメートル)を約三六〇〇秒(六〇分、一時間)で通過したことになる、(3)洪水時の流水の平均流速は河川によつて一様ではないが、一般に、那賀川のような蛇行河川では洪水波の伝播速度とほぼ等しいとみなされており、したがつて、右21.5キロメートルを三六〇〇秒で除すと、平均流速は毎秒六メートルという数値がえられる、とした上、右流量断面積一五七〇平方メートルに平均流速毎秒六メートルを乗じて求めたものであることが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、河川工学を専攻する徳島大学教授杉尾捨三郎及び河川の氾濫、土石流等による災害を研究課題としてる京都大学防災研究所教授高橋保の両名は、木村教授らによる右流量計算の過程について河川工学ないし水理学等の見地からいくつかの問題点を指摘するところ、その要旨はおよそ次のとおりであること、すなわち、その一つは、洪水痕跡があつたとされる長安口ダムから約四〇〇メートル下流の地点付近においては、河床は極めて不規則の上、死水領域(水が渦を巻いて滞留しているところ)も大きく、ここはまた古屋谷川との合流点上流にある大きい砂礫堆や合流の影響によつて堰上げ現象が生じていると考えられ、したがつて、流水に対して有効な断面積は一五七〇平方メートルよりも小さいとみなければならないこと、その二は、河川の流水の速度(流速)は勾配の急緩や河道の粗度、死水領域の存否等によつて影響を受けるものであり、洪水伝播速度と流速とは同一とはみられないこと、河川工学上一般に認められているクライツ・セドンの法則によれば、洪水の伝播速度(ω)と流速(V)との間にはω=PV(P>1)という関係式が成り立つとされており、一般にはPは1.2よりも大きく1.7よりも小さい範囲にあり、本件において、これを1.44とみると、流速は毎秒4.2メートルであり(杉尾教授)、1.35とみると、流速は毎秒4.4メートルである(高橋教授)こと、その三は、川口ダムの貯水池はその長さが約5.6キロメートルに及んでおり、この部分は水深が深く、ここでは洪水波は瞬間的に通過すると考えられるから、平均流速を求めるに当つては、長安口ダムと川口ダム間の距離からは川口ダムの貯水池の長さ5.6キロメートルは除外すべきであること(ただし、高橋教授は、前示乙第三二号証の意見書二九頁三〇行目以下では、この点については従前の見解を撤回したとも受け取れる記述をしている。)、以上のとおりであることが認められる。もとより、杉尾、高橋両教授による右問題点の指摘に対しては、木村教授らによる反論(証人木村春彦の証言といずれもこれにより真正に成立したと認められる甲第八二、第八三号証)もあるわけではあるが、以上掲示の各証拠及びその他の関係証拠を仔細に検討してみても、それぞれの問題点、特に洪水時の河川の流水の平均流速を算出するについて、洪水伝播速度と平均流速との関係をどうみるべきか、すなわちこれをほぼ等しいものとみて差支えないのか、それとも洪水時の場合にもクライツ・セドンの法則がそのまま適用されるのかについては、いずれの見解についても一方を正当として採用し、他方を誤りとして排斥するに足りるだけの合理的な根拠を見出すことはできない。原告らは、木村教授らによる流量計算の正当性を裏付けるものとして、合理式(ラショナル式)を用いての長安口ダムへの最大流入量の計算結果、時間水位曲線にみる洪水の特異性、洪水による浸水の異常性等を挙げるけれども、原告ら主張の最大流入量の計算方法や時間水位曲線の見方については被告ら主張のような問題点が存在することも否定できないし、後述するところに照らして、これらの点が右流量計算の正当性を裏付ける十分な資料とはなりえない。してみると、木村教授らによる右流量計算は河川工学ないし水理学等の理論をもとにした洪水時の河川の流量を把握するための一つの試みとしての意義を有するに止まるものであつて、絶対的に正当視できるほどの性質のものではないといわなければならない。

一方、<証拠>によれば、長安口ダムにおいては、管理事務所の制禦室内には貯水池の水位計、ダムゲートの開度計等が設置されており、放流中は係員がその前に張り付いて、時々刻々に変る貯水池の水位、六門のゲートの開度等がその都度メモ書きの方法で記録されていき、その記録は一時間ごとに建設省徳島工事事務所にも電話で報告されること、乙第一号証の一、二のゲート操作記録表中の放流量についての数値は右のようにして記録された六門のゲートの開度からゲートごとの放流量を割り出し、各ゲートからの放流量を合算して算出されたものであり、流入量についての数値は放流量と貯水池の水位の時間的変化の観測結果とから割り出されたものであることが認められる。これによれば、右放流量及び流入量の各数値は自動的に記録されたものではなく、したがつて、これに人為的な変更を加えようとすればできないことではない。しかしながら、そのためには長安口ダム管理事務所、建設省徳島工事事務所等の関係機関の関係者による通謀が必要であつて、必ずしも容易なことではないし、右放流量及び流入量についての各数値が右認定のようにして算出されたものであるのに対して、木村教授らによる流量計算が前述したような意義を有するに止まるものであることを考えると、前者の放流量についての数値が後者によるそれよりも大幅に下回わつているからといつて、前者の数値をもつて虚偽のものであるということはできない。

<証拠>によれば、昭和四六年八月の台風二三号は那賀川の上、中流域に五五〇ミリメートルを越える集中的な豪雨をもたらしたこと、しかしながら、この雨量は流域平均の総雨量としてみる限り、その後の昭和五〇年八月に襲来した台風六号がもたらした雨量654.4ミリメートルよりも少なかつたこと、ところが、豪雨の継続時間は台風二三号の方が短かかつた(時間雨量一〇ミリメートル以上の継続時間は台風二三号の場合は一三時間、台風六号の場合は二一時間)こと、すなわち、台風二三号の場合には台風六号の場合より総雨量こそ少なかつたが、短時間に強い降雨があつたこと、特に洪水の末期において、支流の古屋谷川を含む那賀川の中流域(長安口ダムより下流域)に時間雨量四〇ミリメートルを越える豪雨が長時間にわたつてみられたこと、台風二三号の襲来に際し、和食地区において一時的に急激な出水をみたのは、台風二三号がもたらした右のような異常な降雨条件によつたものであること、以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右事実に、前述した長安口ダムにおける放流の状況を合わせると、和食地区での出水は、那賀川の中流域から一時的に流入した多量の流水と長安口ダムから放流された流水とが重なり合つて生じたものであり、原告らが指摘する時間水位曲線にみる洪水の特異性や洪水による浸水の異常性もまた右認定のような異常な降雨条件に由来するものとみることができる。

四ダムの管理上の瑕疵(被告らの責任)の有無

長安口ダムによる洪水調節は、治水の基準地点である古庄地区において基本高水流量(基本高水のピーク流量)毎秒九〇〇〇立方メートルを計画高水流量である毎秒八五〇〇立方メートルに押えるため、上流のダムの所在地点における計画高水流量毎秒六四〇〇立方メートルのうち毎秒一〇〇〇立方メートルを調節し、計画最大放流量を毎秒五四〇〇立方メートルとすることを基本としているものであるが、規則上、流入量が毎秒四〇〇〇立方メートルを越え量大の毎秒六四〇〇立方メートルに達するまでの洪水についても

毎秒{(流入量−4,000)×0.583+4,000}立方メートル

の算式で計算された水量を限度として放流することにより一定割合による洪水調節を行うものとされていることは前述したとおりである。ところで、<証拠>によれば、本件洪水においては、長安口ダムへの流入量が最大を記録したのは八月三〇日午後三時五〇分の時点での毎秒4606.8立方メートルであることが認められるのであり、したがつて、右算式によれば、この時点でのダムからの放流量は毎秒4353.76立方メートルを限度とするものでなければならないはずのところである。ところが、流入量が最大を記録した右時点を含む午後三時四〇分から同四時一〇分までの間、長安口ダムからは最大の毎秒4720.8立方メートルが放流されたことは前認定のとおりである。すなわち、右午後三時五〇分の時点では、長安口ダムからは規則上定められた限度を毎秒367.04立方メートルも超過した放流が行われたことになるのである。しかも、前述したところによれば、長安口ダムにおいて午後三時五〇分に放流された流水は和食地区付近には午後五時三〇分、若しくはそれより後に到達するとみられるのであり、一方そのころは、和食地区付近においては、那賀川の中流域(長安口ダム下流)に集中的に降つた豪雨による流域の支川等からの流水の流入により那賀川は急激に水嵩を増大させていたときでもあつたのであつて、長安口ダムにおける右過剰放流は、さらにこれに拍車をかける結果となつてしまつたことは否定できないところである。換言すれば、本件洪水時における洪水調節を目的としたダムの操作は、下流域における洪水を軽減させるどころか、かえつて、これを増大させるという結果を招来したことになるわけである。

そこで、このような事態を招いた原因がどこにあつたかについてみるのに、前認定の本件洪水時のダムの操作状況によれば、八月三〇日午後二時四〇分、徳島地方気象台から台風情報六号が発表され、これをもとにした洪水予測の結果、夜半に計画規模の毎秒六四〇〇立方メートル程度の洪水が襲来するとの結論が出された時点では、貯水位は標高224.24メートルに達しており、洪水調節容量としては一六〇万立方メートルしか確保されていなかつたのであるから、これでは計画規模の洪水には対処できず、貯水位を下げて洪水調節容量を拡大しようとしたことは、右洪水予測が規則の定めに従い、気象学ないし水象学等の見地からも十分な合理性を有するものである限り(ただし、この点を明らかにするに足りる証拠はなく、右洪水予測は結果的にみると実際とは全く外れたものであつたことは前述したとおりである。)、止むをえない措置であつたというべきである。してみると、原因はむしろ、それまでの間、予備放流水位が維持されておらず、規則所定の六九〇万立方メートルの洪水調節容量が確保されていなかつたことにあるのであり、その一つの問題点として、予備放流の開始時刻が遅れ、貯水位を予備放流水位よりも上昇させてしまつたことを挙げることができる。しかしながら、先に認定の事実によれば、八月三〇日午前一〇時の時点では、貯水位は標高218.75メートルの位置にあつて、予備放流水位(標高221.7メートル)を三メートル近くも下回つていたのであり、管理事務所長が午前一一時の時点で同日午前六時二〇分に発表された台風情報四号をもとにした洪水予測の結果に基づき貯水位は午後零時三〇分ころ予備放流水位に接近するものとの判断のもとに、放流開始時刻を午後零時三〇分と決定したことは、右洪水予測が規則の定めに従い、気象学ないし水象学等の見地からも十分な合理性を有するものである限り(ただし、この点を明らかにするに足りる証拠はない。)、止むをえなかつたものというべきである。とはいえ、右洪水予測において、一時的なものとみられた午前九時から同一〇時にかけての長安口ダムの上流にみられた平均三三ミリメートルの降雨はその後も継続し、貯水位は放流開始前の午前一一時五〇分ころには予備放流水位を越えてしまい、放流開始の午後零時三〇分には標高223.55メートルに達したこと、そして、午後一時一〇分ころダムからの放流量が流入量にほぼ等しいものとなつたが、貯水位は既に標高224.24メートルにもなつていたこと、ところが、管理事務所長は、この段階においては、貯水位を予備放流水位まで下げようとはせず(証人佐々木和夫の証言中には、管理事務所長は、この時点で予備放流水位を標高224.25メートルに変更した旨の供述部分があるが、この点は他の証拠には全く顕れておらず、規則上、そのようなことが許されるかどうか、疑問の余地がないではなく、たやすく措信できない。)、午後一時四〇分から同三時までの一時間余にわたつて、いわゆる自流放流を続けたこと、それは放流量が流入量にほぼ等しくなつた午後一時一〇分ころの時点で、午前一一時一〇分に発表された台風情報五号をもとにした洪水予測によれば、二ないし三時間後に毎秒三八〇〇立方メートル程度の流入量であるが、仮にこれが毎秒四八〇〇立方メートルぐらいになつても、これには貯水位を現状の標高224.25メートルのまま(空容量一六〇万立方メートル)で十分対処できると判断したためであることは既に認定したとおりである。しかしながら、右午後一時一〇分ころの時点での洪水予測においても八月三〇日の夜半に台風が襲来するとの予測には変更はなく、暴風雨・洪水注意報も発令されていたことは前認定のとおりであり、そうとすれば、現在の空容量で二ないし三時間後に予測される毎秒三八〇〇立方メートル、或いは四八〇〇立方メートル程度の流入量には対処しうるにしても、夜半に襲来することが予測される台風によつてもたらされるおそれのある洪水に対する備えとして十分なものとはいえないのであるから、右洪水予測を行つた午後一時一〇分ころの時点で、直ちに、既に予備放流水位を越えて上昇してしまつた貯水位を予備放流水位まで下げ、所定の空容量を確保して、夜半の台風に伴うおそれのある洪水に備えるのがダムによる洪水調節の出発点であるのに、その後、一時間余にわたつて自流放流が続けられたというのは理解に苦しむところであり、もし、右午後一時一〇分ころの時点で右のような措置がとられていれば、前述した午後三時四〇分から同四時一〇分までの間の最大毎秒4720.8立方メートルの過剰放流はもとより、前認定の午後三時一〇分から同六時四〇分までの過剰放流は避けられたか、そうでないとしても放流量はより少なくて足りたものと考えられる。

ところで、ダムによる洪水調節は洪水に備えて予め貯水池に空容量(洪水調節容量)を確保しておき、洪水中、上流からの流水の流入量の一部を貯水池に留め込んで下流での流量を軽減するという方法で行われるものであることは既にみたとおりであるが、気象状況はしばしば予測を越えた多様な変化を呈するものであつて、ダムの操作、運用の如何によつては、本件にみるように、かえつて下流での流量の負担を増大させるという結果を招来しないとも限らない。そこで、このような事態を生じないようにするためにはダムの管理、運営についての組織体制を整備し、操作規則等によつて洪水予測の方法を含めた洪水時のダムの操作につき科学的な合理性のある定めをしておくことはもとより重要なことである。しかしながら、気象観測技術や気象学が急速な進歩を遂げている今日においても、洪水の総量やその態様を的確に把握するということは極めて困難なことであり、操作規則等においてダムの操作につきあらゆる態様の洪水を想定したうえでの具体的な定めをしておくことなど、とうてい不可能なことである。してみると、洪水時のダム操作についてはこれを担当する者の具体的な状況に応じての的確な判断と対応措置とが極めて重要であり、ダムによる洪水調節を効果的に行うためには操作担当者の経験、技量に負うところが多いといわなければならない。そこで、ダムの管理、運営について万全を期するためには単に組織体制を整備し、操作規則等によつて必要事項を定めおくというだけでは足りず、ダムの操作に当る関係者について日ごろから実際に具体的な洪水を想定したうえでの訓練を積ませ、研究を重ねさせるなどして、実践的な操作技術を体得させておくことが必要不可欠と解されるところ、前認定のダムの操作状況に照らすと、本件において、洪水時に前述のような事態を招いたのは、当時、長安口ダムの管理について右の点に欠けるところがあつたためとみざるをえず、長安口ダムには管理上の瑕疵が存したということができる。

次に、被告らが長安口ダムを共有していることは前述したとおりであり、長安口ダムは一級河川那賀川の河川管理施設としてその管理の対象に含まれるところ(河川法第三条第一項、第二項)、被告国は一級河川である那賀川の管理者であつて(同法第九条第一項)、徳島県知事に管理を行わせているものであり(同条第二項、昭和四六年建設省告示第三九六号「河川法第九条二項の規定による一級河川の指定区間」のうち八三)、被告県は那賀川の管理に関する費用の負担者であるから(同法第六〇条第二項前段)、被告らは原告らに対してそれぞれ長安口ダムの管理上の瑕疵によつて生じた損害を賠償すべきである。

五損害

和食地区での出水が集中的な豪雨によつてもたらされた中流域からの那賀川への多量の流水の流入と長安口ダムからの流水の放流とが重なり合つて生じたものであること、長安口ダムにおいては、規則上では、洪水時には、流水量が毎秒四〇〇〇立方メートルに達するまでは流入量に等しい量の流水を放流し、流入量が毎秒四〇〇〇立方メートルを超えるときはその一定割合が軽減され、これより少ない量の流水が放流されることになつているのに、本件洪水の際には、八月三〇日午後三時一〇分から同六時四〇分までの間、流入量に毎秒一〇〇ないし三〇〇立方メートルを加えた量の流水を放流したこと、このうち、午後三時四〇分から同四時一〇分までの間には最大の毎秒4780.8立方メートル(このうち六〇立方メートルは発電用の放流)を放流し、その間の最大流入量は午後三時五〇分の時点での毎秒4606.8立方メートルであつて、右放流量は規則の定めるところに従つて放流されるべき流量(毎秒4353.76立方メートル)よりも毎秒367.04立方メートルも超過していることは既に述べたとおりである。<証拠>によれば、流入量を八月三〇日午後三時四〇分の時点での実測値毎秒四三九八立方メートル、放流量を同じ時点での実測値毎秒四七八一立方メートルとして、水理学上、一般に認められている公式と技法に則り、本件洪水の際における和食地区内の或る特定の地点での那賀川の流量を計算すると、長安口ダムにおいて右実測値に相当する流量の放流が行われたとすれば、右特定の地点での流量は毎秒七三八七立方メートルであること、これに対して、右実測値に相当する流入量の一部が規則の定めるところに従いダムにおいて調節され、調節後の毎秒四二三二立方メートルの流水が放流されたとすれば、右特定の地点での流量は毎秒七〇四二立方メートルとなること、すなわち、右各実測値による長安口ダムにおける過剰放流は和食地区内の或る特定の地点での那賀川の流量を毎秒三四五立方メートル増大させること、また右特定の地点において、那賀川の流量が毎秒七三八七立方メートルであるとすると、水位は標高52.9メートルであり、これを毎秒七〇四二立方メートルとすると、水位は標高52.6メートルであること、すなわち、長安口ダムにおける右過剰放流は和食地区内の右特定の地点における水位を三〇センチメートル押し上げる結果となること、が認められる。また、<証拠>によれば、和食地区内の右特定の地点における水位が標高52.5メートルから同53.0メートルの範囲においては浸水の累計面積は五五万七五一三平方メートル、累計水量は一四七万八〇七八立方メートルであり、水位が標高52.0メートルから同52.5メートルの範囲においては累計面積は五〇万二二六三平方メートル、累計水量は一二一万三一三四立方メートルであることが認められる。そこで、これに基づき、水位が標高53.0メートルの場合の累計水量を一四七万八〇七八立方メートル(a)、水位が標高52.5メートルの場合の累計水量を一二一万三一三四立方メートル(b)として、これから水位が標高52.9メートルの場合の累計水量(c)と水位が標高52.6メートルの場合の累計水量(d)を割り出すと(aとbとの差二六万四九四四立方メートルを五で除すと、水位が標高52.5メートルから同53.0メートルの範囲においては、水位が一〇センチメートル上昇した場合の累計水量の増加量は平均五万2988.8立方メートルとなり、cはこれを四倍した数値をbに加え、dは右平均増加量をこれに加えてそれぞれ算出する。)、前者は一四二万五〇八九立方メートル、後者は一二六万六一二三立方メートルであつて、その差は一五万八九六六立方メートルである。すなわち、長安口ダムにおける前述した過剰放流は和食地区における累計水量を一五万八九六六立方メートル増加させたことになるのであり、これを水位が標高52.9メートルの場合の累計水量(c)で除すと、右増加量はそのうちの11.15パーセントを占めることになる(もつとも、このように、湛水量の増分が水位の増分に比例すると考えるのは必ずしも正確ではない。因みに、水位が標高52.5メートルから五三メートルに増加することに伴う湛水量の増分二六万四九四四立方メートルを、水位が標高52.5メートルに対応する湛水量を零とする円錐に見立てて、水位標高52.6メートル、同52.9メートルに対応するを湛水量を計算すると、それぞれ二一一九立方メートル、一三万五六五一立方メートルの数値がえられ、これらを水位が標高52.5メートルのときのさきの一二一万三一三四立方メートルに加えた数値によつて右と同様の計算をすると、右11.15パーセントに代るものとして9.9パーセントの値をうることができる。しかしながら、これも一つの仮定に基づく計算であり、実際の地形、湛水表面積の水位増加に伴う変化などの詳細を知ることができない本件では、体積の変化を長さの変化に比例するものとして近似的な値を求めるのも止むをえないと考える。)。

ところで、前述したとおり、長安口ダムにおける過剰放流が和食地区内の或る特定の地点において水位を三〇センチメートル押し上げるに止まるものであるとすると、過剰放流がなかつたとすれば実際に生じた浸水被害のうち三〇センチメートル以下のものは発生しなかつたことになるが、それ以上の浸水による被害の発生は過剰放流がなかつたとしても避けられなかつたといえないことはない。しかしながら、成立に争いのない甲第五五号証によれば、右後段の場合でも、浸水深が三〇センチメートル増えるとそれだけで浮力が働き、建物の土台の浮上りなどが著しくなること、また河から沿岸へ溢流する水勢は水位が高い場合、格段に激しくなるため器物の流出などの被害も増大することが認められ、これによれば、右後段の場合でも、長安口ダムにおける前述した過剰放流と和食地区における浸水による被害の拡大との間の因果関係を否定することはできない。そうすると問題は右過剰放流によつて生じた損害をどのようにして算定するかであるが、この点につき以上に説示したほかに的確な資料のない本件においては、浸水による損害のすべては、和食地区内の或る特定の地点での水位が標高52.9メートルである場合の累計水量一四二万五〇八九立方メートルによつてもたらされたとの想定のもとに、前述したとおり、右累計水量のうち過剰放流による分の占める割合は11.15パーセントであることから、浸水による損害のうち右割合に相当する分が過剰放流によつて生じたものとして算定するのが相当である。

そこで、以下においては、右の考え方に従い、個々の原告について右過剰放流によつて生じた損害の金額を、(1)財産的損害(全損害のうちの11.15パーセントに相当する分)、(2)精神的損害(個々の原告の家族関係、浸水による被害の性質・程度、(1)の損害の金額及び過剰放流が浸水による被害に及ぼした影響等、諸般の事情を斟酌して定める。)及び(3)右過剰放流と相当因果関係のある損害としての弁護士費用(本件事案の性質・内容、審理の経過及び請求の認容額等、審理に顕れた諸般の事情に照らすと、被害発生時の昭和四六年八月三〇日の現在価額で(1)及び(2)の損害の合計金額の一〇パーセントとするのが相当である。)に分けて検討する。

1  原告梶川彰

<証拠>によれば、原告梶川彰は前認定の住居地で妻と子一人とともに生活をしていたこと、出水によりその木造瓦葺二階建の居宅は床上1.55ないし1.65メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(1)記載のとおり計七六万七八二八円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない、右財産的損害の11.15パーセント相当分は八万五六一二円(円位未満切捨。以下同じ)であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万八〇〇〇円とするのが相当である(合計三一万三六一二円)。

2  原告松浦勝

<証拠>によれば、原告松浦勝は前認定の住居地で妻と子二人とともに生活をしていたこと、出水によりその木造瓦葺二階建の居宅は床上1.85ないし1.88メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(2)記載のとおり計六九万〇三二〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は七万六九七〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万七〇〇〇円とするのが相当である(合計三〇万三九七〇円)。

3  原告岡田武見

<証拠>によれば、原告岡田武見は前認定の住居地で妻と子二人とともに生活をしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.70ないし1.81メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(3)記載のとおり計六一万八四〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は六万八九五一円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万六〇〇〇円とするのが相当である(合計二九万四九五一円)。

4  原告朝井徳一

<証拠>によれば、原告朝井徳一は前認定の住居地で妻と子一人、母の三人と生活をともにし、自転車、オートバイ等の販売店を営んでいたこと、出水により鉄骨コンクリート造陸屋根二階建の建物は店舗部分で土間上1.31メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(4)記載のとおり三八五万九〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は四三万〇二七八円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は七万三〇〇〇円とするのが相当である(合計八〇万三二七八円)。

5  原告三木健生

<証拠>によれば、原告三木健生は前認定の住居地で妻と子一人と生活をともにし、理容業を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建店舗兼居宅は店舗部分で土間上0.10ないし0.65メートル、居宅部分で床上0.12ないし0.20メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(5)記載のとおり計一一三万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一二万五九九五円であり、右事実によれば、出水により被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一〇万円、弁護士費用は二万二〇〇〇円とするのが相当である(合計二四万七九九五円)。

6  原告西岡治雄

<証拠>によれば、原告西岡治雄は前認定の住居地で妻と子一人とともに生活をしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上0.74ないし0.77メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(6)記載のとおり計七二万三五〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は八万〇六七〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万八〇〇〇円とするのが相当である(合計三〇万八六七〇円)。

7  原告寒川正義

<証拠>によれば、原告寒川正義は前認定の住居地で妻と子二人、母と生活をともにし、衣料品店を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.07メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(7)記載のとおり計八〇万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は八万九二〇〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一〇万円、弁護士費用は一万八〇〇〇円とするのが相当である(合計二〇万七二〇〇円)。

8  原告土井邦夫

<証拠>によれば、原告土井邦夫は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにし、建具製造販売店を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.07メートルの浸水被害を受け、そのほかの作業場の建物も被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(8)記載のとおり計二五万五一〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二万八四四三円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は七〇〇〇円とするのが相当である(合計八万五四四三円)。

9  原告近藤寿賀子

<証拠>によれば、原告近藤寿賀子は前認定の住居地で夫と子四人と生活をともにし、美容院を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼店舗は居宅部分で床上0.55メートル、店舗部分で床上0.80メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(9)記載のとおり計九二万一五五〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一〇万二七五二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一〇万円、弁護士費用は二万円とするのが相当である(合計二二万二七五二円)。

10  原告近藤光雄

<証拠>によれば、原告近藤光雄は前認定の住居地で妻と子四人とともに生活していたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼倉庫は居宅部分で床上0.55メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(10)記載のとおり計五八万五〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は六万五二二七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は一万一〇〇〇円とするのが相当である(合計一二万六二二七円)。

11  原告坂東敏弘

<証拠>によれば、原告坂東敏弘は前認定の住居地で妻と子二人、両親と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.37ないし1.44メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(11)記載のとおり計八一万六九〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は九万一〇八四円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万九〇〇〇円とするのが相当である(合計三二万〇〇八四円)。

12  原告坂東晴男

<証拠>によれば、原告坂東晴男は原告坂東敏弘の父であつて、敏弘と同居し、山林作業員をしていたところ、出水により独自に別紙損害等明細表(12)記載のとおり計二二万二〇〇〇円の財産的損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二万四七五三円であり、弁護士費用は二〇〇〇円とするのが相当である(合計二万六七五三円)。

なお、右財産的損害の程度、原告坂東晴男が原告坂東敏弘の家族の一員であつて、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料については原告坂東敏弘についてこれを定めるに当り考慮していることを考えると、原告坂東晴男についてさらに別途にこれを認めるまでの必要はないものとするのが相当である。

13  原告原徳蔵

<証拠>によれば、原告原徳蔵は前認定の住居地で妻、長女夫婦、孫二人とともに生活していたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼店舗は床上0.95ないし0.96メートルの浸水被害を受けたこと、そのために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(13)記載のとおり計九三万九六〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一〇万四七六五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万円とするのが相当である(合計三三万四七六五円)。

14  原告福永利之

<証拠>によれば、原告福永利之は前認定の住居地で妻と長男夫婦、孫一人と生活をともにし、本人は大工、長男は鮮魚店を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼店舗は店舗部分で土間上1.01メートル、居宅部分で床上0.71メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(14)記載のとおり計七二万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は八万〇二八〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万八〇〇〇円とするのが相当である(合計三〇万八二八〇円)。

15  原告細川英明

<証拠>によれば、原告細川英明は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上0.90ないし1.20メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(15)記載のとおり計一〇四万八三一〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一一万六八八六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万一〇〇〇円とするのが相当である(合計三四万七八八六円)。

16  原告藤川清介

<証拠>によれば、原告藤川清介は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼店舗は床上0.96ないし1.03メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(16)記載のとおり計二〇一万五六五〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二二万四七四四円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万二〇〇〇円とするのが相当である(合計四六万六七四四円)。

17  原告日下偉至

<証拠>によれば、原告日下偉至は前認定の住居地で妻と子二人、父と生活をともにし、本人は郵便局に勤め、妻が雑貨店を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.91ないし0.97メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(17)記載のとおり計六〇万五〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は六万七四五七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万六〇〇〇円とするのが相当である(合計二九万三四五七円)。

18  原告入谷保雄

<証拠>によれば、原告入谷保雄は前認定の住居地で妻と長男夫婦、孫二人と生活をともにし、鉄工所を経営していたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.79ないし1.80メートルの浸水被害を受けたほか、そのほかの居宅兼店舗、作業場、倉庫等の建物も被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(18)記載のとおり計二一五万二〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二三万九九四八円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万三〇〇〇円とするのが相当である(合計四八万二九四八円)。

19  原告田宝繁男

<証拠>によれば、原告田宝繁男は前認定の住居地で妻と長男夫婦と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.03ないし0.10メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(19)記載のとおり計五〇万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は五万五七五〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は一万円とするのが相当である(合計一一万五七五〇円)。

20  原告沢田義雄

<証拠>によれば、原告沢田義雄は前認定の住居地で妻、長男と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.03メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(20)記載のとおり計五八万八〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は六万五五六二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は一万一〇〇〇円とするのが相当である(合計一二万六五六二円)。

21  原告角内玉恵

<証拠>によれば、原告角内玉恵は前認定の住居地で一人暮らしをしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上0.04ないし0.10メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(21)記載のとおり計三九万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は四万三四八五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は九〇〇〇円とするのが相当である(合計一〇万二四八五円)。

22  原告中川義治

<証拠>によれば、原告中川義治は前認定の住居地で妻と長男と生活をともにし、和食地区の住居とは別の場所でチップ(製紙原料)工場を経営していたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上0.40メートルの浸水被害を受け、軽量鉄骨造スレート葺二階建の工場は那賀川に近く低地にあつたため床上2.24ないし3.00メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(22)記載のとおり計六八二万七〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は七六万一二一〇円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円、弁護士費用は一二万六〇〇〇円とするのが相当である(合計一三八万七二一〇円)。

23  原告正本忠次

<証拠>によれば、原告正本忠次は前認定の住居地で妻と子一人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は土間上0.17メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(23)記載のとおり計一六万三〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一万八一七四円であり、弁護士費用は一〇〇〇円とするのが相当である(合計一万九一七四円)。

なお、右浸水被害(財産的損害)の程度に照らすと、出水によつて被つた精神的苦痛は金銭をもつて慰藉しなければ償えないほどのものではないとみるのが相当である。

24  原告延清隆男

<証拠>によれば、原告延清隆男は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造セメント瓦葺二階建の居宅は床上1.14ないし1.70メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(24)記載のとおり計七九万九三〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は八万九一二一円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万八〇〇〇円とするのが相当である(合計三一万七一二一円)。

25  原告土佐只夫

<証拠>によれば、原告土佐只夫は和食地区内の、その住居地とは別の場所で製材業を営んでいたこと、出水により木造トタン葺平家建の延床面積約二〇〇坪の工場、事務所等の建物は土間上2.42ないし2.50メートルの浸水被害を受け、置場の製材、原木等も流出してしまつたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(25)記載のとおり計七四三万〇九六四円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は八二万八五五二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円、弁護士費用は一三万二〇〇〇円とするのが相当である(合計一四六万〇五五二円)。

26  原告新田武雄

<証拠>によれば、原告新田武雄は前認定の住居地で妻と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.00ないし1.11メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(26)記載のとおり計六五万九〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は七万三四七八円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万七〇〇〇円とするのが相当である(合計三〇万〇四七八円)。

27  原告奥畑清治

<証拠>によれば、原告奥畑清治は前認定の住居地で妻と長女、次女と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.98ないし1.00メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(27)記載のとおり計一三六万六〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一五万二三〇九円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万五〇〇〇円とするのが相当である(合計三八万七三〇九円)。

28  原告石岡実

<証拠>によれば、原告石岡実は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造スレート葺平家建の居宅及び別のもう一棟の居宅はいずれも床上1.61ないし1.70メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(28)記載のとおり計一一八万七五〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一三万二四〇六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は四万三〇〇〇円とするのが相当である(合計四七万五四〇六円)。

29  原告乾藤

<証拠>によれば、原告乾藤は前認定の住居地で三人の子と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上0.41ないし0.55メートルの浸水被害を受け、そのほかの居宅一棟も被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(29)記載のとおり計九九万〇八〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一一万〇四七四円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一〇万円、弁護士費用は二万一〇〇〇円とするのが相当である(合計二三万一四七四円)。

30  原告有限会社安福石油店

<証拠>によれば、原告有限会社安福石油店はいわゆるガソリンスタンドの経営を営業目的としている会社であり、前認定の所在地に事業場を有していたこと、出水により鉄筋コンクリート造陸屋根平家建の店舗は土間上1.03メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(30)記載のとおり計二一五万一〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二三万九八三六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万三〇〇〇円とするのが相当である(合計四八万二八三六円)。

31  原告川田繁夫

<証拠>によれば、原告川田繁夫は前認定の住居地で妻と長男、次男、母と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.30ないし0.55メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(31)記載のとおり計一八八万六七〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二一万〇三六七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一〇万円、弁護士費用は三万一〇〇〇円とするのが相当である(合計三四万一三六七円)。

32  原告山川久子

<証拠>によれば、原告山川久子は前認定の住居地で夫、長男夫婦、次男、母と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.95メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた損害は別紙損害等明細表(32)記載のとおり計二二二万六二〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二四万八二二一円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万四〇〇〇円とするのが相当である(合計四九万二二二一円)。

33  原告八田孝雄

<証拠>によれば、原告八田孝雄は前認定の住居地で妻と子一人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.75ないし1.77メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(33)記載のとおり計五三万五〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は五万九六五二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万五〇〇〇円とするのが相当である(合計二八万四六五二円)。

34  原告谷崎種吉

<証拠>によれば、原告谷崎種吉は前認定の住居地で妻と子一人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.88ないし2.09メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(34)記載のとおり計二九万円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は三万二三三五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万三〇〇〇円とするのが相当である(合計二五万五三三五円)。

35  原告矢野昭二

<証拠>によれば、原告矢野昭二は前認定の住居地で養父と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺平屋建の居宅兼店舗は床上1.90ないし1.99メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(35)記載のとおり計九三万八五六〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一〇万四六四九円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万円とするのが相当である(合計三三万四六四九円)。

36  原告近藤清

<証拠>によれば、原告近藤清は前認定の住居地で妻と子一人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.85メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(36)記載のとおり計五二万〇五〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は五万八〇三五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万五〇〇〇円とするのが相当である(合計二八万三〇三五円)。

37  原告荒野信正

<証拠>によれば、原告荒野信正は前認定の住居地で妻と子一人、父と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床下1.74ないし1.75メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(37)記載のとおり計九九万〇一〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一一万〇三九六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万一〇〇〇円とするのが相当である(合計三四万一三九六円)。

38  原告堀本清次

<証拠>によれば、原告堀本清次は前認定の住居地で妻と両親と生活をともにし、食料品店を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅兼店舗は店舗部分で土間上1.81メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(38)記載のとおり計一九三万七〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二一万五九七五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万一〇〇〇円とするのが相当である(合計四五万六九七五円)。

39  原告延勝侯

<証拠>によれば、原告延勝侯は前認定の住居地で妻と子二人、母と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.85ないし2.16メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(39)記載のとおり計三六万一二〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は四万〇二七三円であり、右事実及び前示甲第七五号証の三九によつて認められる長女由加里(当時六歳)の救出時の状況によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は三万四〇〇〇円とするのが相当である(合計三七万四二七三円)。

40  原告高原忠史

<証拠>によれば、原告高原忠史は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.30ないし1.33メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(40)記載のとおり計一八〇万三五一〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二〇万一〇九一円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は四万円とするのが相当である(合計四四万一〇九一円)。

41  原告助原健二

<証拠>によれば、原告助原健二は前認定の住居地で妻と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺平家建の居宅は床上1.25ないし1.85メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(41)記載のとおり計五三万八六〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は六万〇〇五三円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万六〇〇〇円とするのが相当である(合計二八万六〇五三円)。

42  原告株式会社丸太製材所

<証拠>によれば、原告株式会社丸太製材所は製材業等を営業目的とする会社であり、前認定の場所に事業場を有していること、出水により木造セメント瓦葺二階建の事務所は土間上2.10メートルの浸水被害を受け、木造杉皮葺平家建の工場も浸水したこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(42)記載のとおり計八五一万一三六一円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は九四万九〇一六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円、弁護士費用は一四万四〇〇〇円とするのが相当である(合計一五九万三〇一六円)。

43  原告笹下竹雄

<証拠>によれば、原告笹下竹雄は前認定の住居地で妻と次女、孫一人と生活をともにし、司法書士をしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.78メートル、別棟の木造セメント瓦葺平家建の事務所兼居宅は床上0.83メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(43)記載のとおり計一三三万五〇五〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一四万八八五八円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万四〇〇〇円とするのが相当である(合計三八万二八五八円)。

44  原告畠田耕三郎

<証拠>によれば、原告畠田耕三郎は前認定の住居地で妻と子三人と生活をともにしていたこと、出水により鉄筋コンクリート造陸屋根二階建の居宅は床上1.00ないし1.15メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(44)記載のとおり計六四万四〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は七万一八〇六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万七〇〇〇円とするのが相当である(合計二九万八八〇六円)。

45  原告有限会社畠田製材

<証拠>によれば、原告有限会社畠田製材は製材業を営業目的とする会社であり、前認定の場所に事業場を有していること、出水により軽量鉄骨造スレート葺平家建の工場は土間上1.34メートルの浸水被害を受け、木材置場の木材も流失したこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(45)記載のとおり計九一八万三〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一〇二万三九〇四円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円、弁護士費用は一五万二〇〇〇円とするのが相当である(合計一六七万五九〇四円)。

46  原告福永英司

<証拠>によれば、原告福永英司は前認定の住居地で妻と子二人、母と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上1.92メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(46)記載のとおり計三〇万二五三〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は三万三七三二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は二万三〇〇〇円とするのが相当である(合計二五万六七三二円)。

47  原告尾華ミチエ

<証拠>によれば、原告尾華ミチエは前認定の住居地で長女と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は二階床上0.20メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(47)記載のとおり計二二五万五九三二円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二五万一五三六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は五万五〇〇〇円とするのが相当である(合計六〇万六五三六円)。

48  原告今川久典

<証拠>によれば、原告今川久典は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにしていたこと、出水により木造セメント瓦葺二階建の居宅は二階床上0.20メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(48)記載のとおり計一七九万八〇四二円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は二〇万〇四八一円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は五万円とするのが相当である(合計五五万〇四八一円)。

49  原告中矢健二

<証拠>によれば、原告中矢健二は前認定の住居地で妻と子二人と生活をともにし、自動車、自転車の販売修理店を営んでいたこと、出水によりコンクリートブロック造陸屋根平家建店舗は床上2.03ないし2.08メートルの浸水被害を受け、そのほかの居宅一棟も被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(49)記載のとおり計六六万七八二〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は七万四四六一円であり、右事実及び前示甲第七五号証の四九によつて認められる妻の救出状況によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は三万七〇〇〇円とするのが相当である(合計四一万一四六一円)。

50  原告有限会社大江製材所

<証拠>によれば原告有限会社大江製材所は木材の加工、販売等を営業目的とする会社であり、前認定の場所に事業場を有していること、出水により鉄骨造スレート葺平家建の工場は土間上2.14メートルにわたつて浸水し、多数の原木等が流失するなどの被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(50)記載のとおり計九六九万四三七〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一〇八万〇九二二円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五〇万円、弁護士費用は一五万八〇〇〇円とするのが相当である(合計一七三万八九二二円)。

51  原告山花喜八

<証拠>によれば、原告山花喜八は前認定の住居地で妻と長女と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上2.27ないし2.80メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(51)記載のとおり計一四二万九一〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一五万九三四四円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は四万五〇〇〇円とするのが相当である(合計五〇万四三四四円)。

52  原告高木茂

<証拠>によれば、原告高木茂は農業経営者であるところ、出水によりその水田、畑等が冠水し、このために別紙損害等明細表(52)記載のとおり計二八〇万六四〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は三一万二九一三円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は三万六〇〇〇円とするのが相当である(合計三九万八九一三円)。

53  原告大下好美

<証拠>によれば、原告大下好美は農業経営者であるところ、出水によりその水田、畑地が冠水し、このために別紙損害等明細表(53)記載のとおり計一七三万九〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は一九万三八九八円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は二万四〇〇〇円とするのが相当である(合計二六万七八九八円)。

54  原告沢田厚

<証拠>によれば、原告沢田厚は農業経営者であるところ、出水によりその水田、畑等が冠水し、このために別紙損害等明細表(54)記載のとおり計一二五万円相当の損害を受けたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は一三万九三七五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は一万八〇〇〇円とするのが相当である(合計二〇万七三七五円)。

55  原告長船銀二

<証拠>によれば、原告長船銀二は農業経営者であるところ、出水による水田等の冠水による減収等のため別紙損害等明細表(55)記載のとおり計五万五〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は六一三二円であり、右事実によれば、弁護士費用は六〇〇円とするのが相当である(合計六七三二円)。

56  原告坂口文雄

<証拠>によれば、原告坂口文雄は前認定の住居地で妻と母と生活をともにしていたこと、出水により木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建の居宅は床上0.29メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(56)記載のとおり計三九万八〇〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は四万四三七七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は九〇〇〇円とするのが相当である(合計一〇万三三七七円)。

57  原告湯浅幸次

<証拠>によれば、原告湯浅幸次は前認定の住居地で妻と次男、長女と生活をともにしていたこと、出水により木造スレート葺二階建の居宅は床上0.25メートルの浸水被害を受けたほか、農作物等にも被害が生じたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(57)記載のとおり計二七万五四〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は三万〇七〇七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は八〇〇〇円とするのが相当である(合計八万八七〇七円)。

58  原告山崎良起

<証拠>によれば、原告山崎良起は前認定の住居地で妻と長男、長女、次男、母と生活をともにし、不動産業を営んでいたこと、出水により木造瓦葺二階建の事務所を兼ねた居宅は床上0.82ないし0.85メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(58)記載のとおり計三〇〇万六一〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は三三万五一八〇円であり、右事実によれば出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は三〇万円、弁護士費用は六万三〇〇〇円とするのが相当である(合計六九万八一八〇円)。

59  原告延谷昌幸

<証拠>によれば、原告延谷昌幸は農業経営者であるところ、出水により水田、畑の冠水等のために別紙損害等明細表(59)記載のとおり計一六九万八〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は一八万九三二七円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は二万三〇〇〇円とするのが相当である(合計二六万二三二七円)。

60  原告竹内勲

<証拠>によれば、原告竹内勲は農業経営者であるところ、出水によりパイプハウスの倒壊等のために別紙損害等明細表(60)記載のとおり計四七万七〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は五万三一八五円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二万円、弁護士費用は七〇〇〇円とするのが相当である(合計八万〇一八五円)。

61  原告谷上石太郎

<証拠>によれば、原告谷上石太郎は前認定の住居地で妻と生活をともにしていたこと、出水により木造瓦葺二階建の居宅は床上0.60メートルの浸水被害を受けたこと、このために被つた財産的損害は別紙損害等明細表(61)記載のとおり計一二六万九五〇〇円であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右財産的損害の11.15パーセント相当分は一四万一五四九円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は二〇万円、弁護士費用は三万四〇〇〇円とするのが相当である(合計三七万五五四九円)。

62  原告湯村治美

<証拠>によれば、原告湯村治美は農業経営者であるところ、出水により水田、畑の冠水等のために別紙損害等明細表(62)記載のとおり計一〇万四五〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は一万一六五一円であり、弁護士費用は一〇〇〇円とするのが相当である(合計一万二六五一円)。

なお、右損害の程度に照らすと、出水によつて被つた精神的苦痛は金銭によつて慰藉しなければならないほどのものではないとみるのが相当である。

63  原告元木慶太郎

<証拠>によれば、原告元木慶太郎は農業経営者であるところ、出水により水田、畑の冠水等のため別紙損害等明細表(63)記載のとおり計一一万八〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は一万三一五七円であり、弁護士費用は一〇〇〇円とするのが相当である(合計一万四一五七円)。

なお、右損害の程度に照らすと、出水によつて被つた精神的苦痛は金銭によつて慰藉しなければならないほどのものではないとみるのが相当である。

64  原告川柴国男

<証拠>によれば、原告川柴国男は農業経営者であるところ、出水により家畜の流失、水田、畑の冠水等のために別紙損害等明細表(64)記載のとおり計二〇二万四〇〇〇円相当の損害を被つたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右損害の11.15パーセント相当分は二二万五六七六円であり、右事実によれば、出水によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は五万円、弁護士費用は二万七〇〇〇円とするのが相当である(合計三〇万二六七六円)。

したがつて、被告らは原告らに対しそれぞれ右当該合計金額及びこれに対する浸水被害発生の後である昭和四六年八月三一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。

六よつて、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからその範囲でこれを認容し(なお、仮執行宣言については、本件においては損害の範囲や金額を確定するための的確な資料が乏しいこと、被告らは国及び地方自治体であつて、支払の意思及び能力を懸念する余地はないこと、その他審理に顕れた諸般の事情に鑑み、これを付することは相当でないと判断し、付さないこととする。)、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官曽我大三郎 裁判官栂村明剛)

別表損害等明細表(1)〜(64)<省略>

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